都市の縁にある、世界一登られる山
高尾山は東京都八王子市の西端、関東山地と多摩丘陵が接するあたりに立つ標高599mの低山だ。明治の森高尾国定公園に指定され、ブナとモミの混交林、暖温帯と冷温帯の境目に位置する生物相の豊かさから、植物学の世界では古くから知られてきた。2007年にミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三つ星評価を受けて以降は海外からの来訪者も増え、年間の登山者数は260万人を超え、単独の山としては世界最多とも言われる。新宿から京王線で約50分という距離感のまま、霊山であり、登山道のバリエーションを持つ一座の山として成立しているのが、この山の特異さである。
六本の参道、もうひとつの稲荷山
高尾山の登山ルートは番号で整理されている。最も古く、最も登られているのが1号路(表参道)で、清滝駅前から金比羅台、薬王院を経て山頂まで舗装路が続く。ケーブルカー高尾山駅からの合流地点までは標準コースタイムで約100分、舗装ゆえ高低差さえ受け入れれば季節も天候もほとんど選ばない。2号路は霞台園地を巻く短い周回路、3号路は南斜面を緩やかにトラバースする静かな道、4号路は吊り橋「みやま橋」を渡り北斜面の森を抜ける。5号路は山頂直下を一周する周回路で、各路線をつなぐハブの役割を果たす。
本格的に「登山」を味わいたい人に勧められるのが6号路と稲荷山コースだ。6号路は琵琶滝の脇から沢沿いを遡り、最後は木の階段で稜線に上がる、ほぼ全線が土と石の山道で、雨後はぬかるむ。稲荷山コースは清滝駅の対岸から尾根筋を辿る一本道で、東京方面の眺望が断続的に開ける。1号路と組み合わせて登りに稲荷山、下りに6号路、という選び方は、高尾山ルートの中で最もコントラストの効いた組み合わせとして古くから知られている。
薬王院と天狗、そして信仰の山として
1号路の中腹に位置する高尾山薬王院有喜寺は、奈良時代の天平年間に行基が開いたと伝わる真言宗智山派の古刹だ。本尊は飯縄大権現で、その眷属(けんぞく)として天狗が祀られている。仁王門をくぐった先の境内には、大天狗・小天狗の像、八大龍王の水場、奥之院不動堂などが配置され、山道の途中に出現する大規模な伽藍は、観光地としての高尾山と修験の山としての高尾山が同じ場所で重なっていることを強く印象づける。
正月の初詣、3月の火渡り祭、ゴールデンウィークと秋の紅葉期は薬王院周辺がとくに混み合う。静かに歩きたい場合は、3号路・4号路を選んで薬王院を巻く選択肢があり、これも高尾山ならではの選び方だ。なお、高尾山の山頂(599m)は薬王院から徒歩約20分。山頂広場は広く、天気が良ければ富士山と丹沢の稜線がそのまま正面に並ぶ。
低山だからこそ、装備の油断が出やすい
高尾山の服装と装備は、1号路だけを歩くなら街歩きの延長で問題ない。一方、6号路や稲荷山コース、奥高尾の縦走に踏み込む場合は、ローカットでもグリップのあるトレッキングシューズに切り替えたい。沢沿いの石は雨後でなくとも濡れていることがあり、革靴やスニーカーで滑って捻挫する例が毎年見られる。
気温は東京中心部より概ね3〜5℃低い。冬の早朝は氷点下まで下がる日があり、薄手のフリースと風を切るシェル、手袋があると行動が楽になる。夏は標高599mでも林床の湿度が高く、虫除けと飲料水の予備があると安心だ。日帰り装備のなかで一番効くのはヘッドランプで、紅葉期の夕方や、奥高尾まで足を延ばして下山が遅れた場合に致命的な差になる。装備の判断は「1号路の往復で帰るのか、それ以外を含めるのか」で線を引くと考えやすい。
新緑、ビアマウント、紅葉、ダイヤモンド富士
高尾山の季節は、四つのピークで語ると分かりやすい。5月の新緑は1号路の杉並木と4号路の広葉樹がもっとも瑞々しい時期で、薬王院の参道は若葉のトンネルになる。7月から10月の夏季には山頂直下の高尾山ビアマウントが営業し、夕方からの登山と夜景がセットになる独特の催しになる。11月中旬から12月初頭のもみじまつりの頃は1号路の薬王院周辺と4号路のいろは坂が紅に染まり、年間でもっとも混雑する。
冬至を挟む12月中旬から1月初旬にかけては、山頂から見る富士山の頂に夕日が重なる「ダイヤモンド富士」のシーズンになり、晴天の夕方は山頂が三脚で埋まる。高尾山の時期選びは紅葉と新緑に偏りがちだが、空気の澄んだ厳冬の朝、人が少ない4号路を歩いて山頂で富士の白いシルエットを見る、という選び方も悪くない。季節ごとに違う山と出会える点で、高尾山の登山は何度でも再訪に耐える。
山頂の先、奥高尾へつなぐ
高尾山のアクセスは、京王線「高尾山口」駅から徒歩5分で清滝駅・ケーブルカーとリフト乗り場に着き、そこが各登山道の起点になる。新宿から京王線特急で約50分、JR中央線「高尾」駅からは京王線に乗り換えて一駅。車の場合、駅前と高尾山口周辺に複数の有料駐車場があるが、紅葉期と週末は午前9時前に満車になることが多く、電車利用が無難だ。
山頂で物足りなさを感じたら、そのまま稜線を西に進む「奥高尾」がある。一丁平、城山(小仏城山、670m)、景信山(727m)、堂所山、明王峠、陣馬山(855m)と、低山の縦走としては国内でも屈指の人気ルートが続いている。陣馬山まで通せば標準で5〜6時間の本格的な日帰り縦走になり、高尾山の本当の奥行きは、山頂のさらに向こうから始まると気づくはずだ。
ケーブルカーは高尾登山電鉄が、リフトは同社グループが運行する。混雑期は乗車券の列だけで30分以上待つことがあるため、登りは歩いて稲荷山コース、下りでケーブルカーを使う、という時間配分の方が結果的に効率が良いことも多い。