関所の名を背負った山
景信山は東京都八王子市と神奈川県相模原市の境に立つ標高727.1mの山である。高尾山から陣馬山へ続く奥高尾縦走路のちょうど中ほどに位置し、東京都立高尾陣場自然公園と神奈川県立陣馬相模湖自然公園の双方に指定されている。このうち都立高尾陣場自然公園は1950年に指定された4,403ヘクタールの自然公園で、陣馬山から景信山を経て小仏峠に至る都県境の山地帯を含む。区域が密接する明治の森高尾国定公園とは、一体のものとして利用・管理されている。
山名の由来は定まっていない。北条氏照の重臣・横地景信がこの地を守護していたという説、武田氏の情勢を窺うための出城が置かれたという説などが伝わる。どちらの説を取っても、この山の名は「見張る」という機能から来ている。727mという標高は高尾山を二百数十m上回るにすぎないが、その差が効いて、山頂からは相模湖や丹沢の稜線、富士山の方角に加え、東を向けば都心のビル群までが視界に入る。多摩百山にも選ばれており、奥多摩山域の入口に立つ山として扱われてきた。
小仏から一時間、尾根はいきなり始まる
景信山に登るなら、起点はまず小仏バス停になる。ここから山頂へ向かうルートは大きく二本ある。ひとつは南東尾根を直接詰める最短の道で、バス停から舗装路を15分ほど歩いた登山道入口から山頂まで約60分、バス停から通しで1時間から1時間30分をみておけばよい。階段から始まる序盤はごつごつした岩の混じる急登で、尾根に乗ると一転してなだらかになり、背の高い植林に囲まれた区間が続く。道がえぐれた箇所を過ぎ、小下沢林道との分岐を分けると、再び階段が現れて山頂に出る。
もう一本は小仏峠を経由する道である。小仏バス停から登山口まで10分、登山口から小仏峠まで50分、峠から景信山まで40分という配分で、峠の史跡を挟む分だけ時間が延びる。景信山のルート選びは結局、この二本のどちらを登りに使い、どちらを下りに回すかという設計に尽きる。直登で高度を稼いで峠へ下ろせば歴史の道を惰性で歩けるし、逆に取れば、登りながら街道の跡を読むことになる。
峠に残る、街道だった頃の記憶
小仏峠は、かつて甲州街道が越えた峠である。八王子市の記録によれば、小仏関はもともと天正年間(1573〜1592年)に北条氏照が武蔵国と相模国の境にあたる小仏峠の頂上に設けたのが始まりで、北条氏が滅びた1590年に徳川家康が現在の裏高尾町の地へ移して整備した。関所はおおむね四人体制で守られ、明治2年の太政官布告によって全国の関所とともに廃止された。跡地は昭和3年1月18日に国の史跡に指定されている。
街道そのものも、やがて山を離れた。八王子市は、1888年に甲州街道の経路が小仏峠越えから大垂水経由へ改められたと記している。峠に人の流れが戻ったのは、街道としてではなく登山道としてである。現在の峠の頂には明治天皇の小休所址を刻んだ碑や茶屋の跡が残り、縦走路を歩く者はその脇を通り過ぎていく。小仏峠から景信山を登るということは、この百数十年分の用途変更の上を歩くということでもある。
縦走路の真ん中で、腰を下ろす
この山の性格を決めているのは、山頂が縦走路の中間点にあるという一点に尽きる。南の小仏城山から景信山までは2.4km、小仏城山発で60分、景信山発で55分。ただし平坦ではない。小仏城山から小仏峠へ100m以上下り、そこから180mほど登り返す。この上下動が、地図上の短さに比べて体感を重くする。しかも区間の途中にトイレはなく、設置されているのは小仏城山と景信山の山頂だけである。
北へ向かえば、景信山から明王峠まで80分、明王峠から陣馬山までさらに60分。日本山岳会はこの尾根を関東ふれあいの道「鳥のみち」として紹介しており、示された区間タイムを足していくと、小仏バス停から陣馬高原下バス停まで通しで約5時間になる。尾根は都県境をなぞって続き、緩やかな起伏のなかに小さなピークを繰り返す。景信山から先は、歩いた分だけ戻る手段が遠ざかる片道の道になる。
山頂の茶屋は、いまは一軒である。かつては景信茶屋青木と三角点かげ信小屋が並んでいたが、青木は2024年1月28日を最後に景信山での営業を終え、同年3月に小仏城山へ移った。残った一軒はなめこ汁と野草の天ぷらで知られ、営業は土日祝が基本で、休む日は前夜にSNSで告知される。トイレは山頂にある。平日に登れば広い山頂は座り放題だが、店は閉まっていると考えておくほうがいい。
日本山岳会は、この尾根には小仏峠へ上がる途中の一か所を除いて水場がないこと、そして景信山頂から陣馬山へ向かって下りはじめる箇所が大変滑りやすいことを記している。雨や雪でぬかるんだとき、冬に氷が張っているときはとくに危険だという。水は下から担ぐ前提で組み、下降の最初の数分こそ気を抜かないこと。
都市の季節と、尾根の季節
景信山の季節は、都市の季節より少しだけ遅れて動く。低山であるから雪と無縁というわけではなく、都心に雨が降った翌朝、標高700mの尾根が凍っていることは珍しくない。落葉した冬の尾根は視界が開ける代わりに、日陰の泥と凍結が下りの難所に変わる。装備の軽重を決めるのは標高ではなく、この足元の条件のほうだ。冬から早春にかけての時期は、軽アイゼンをザックの底に入れておく判断がそのまま安全域になる。
服装については、駅から山頂まで一時間強という近さがかえって油断を生む。植林帯は風が通らず汗をかき、山頂に出た途端に尾根を抜ける風が体温を奪っていく。行動中に着る一枚と、腰を下ろしてから羽織る一枚を分けて持つのが、この山の歩き方に合っている。尾根上に水場は当てにできない以上、夏場は担いだ水の量がそのまま行動時間の上限になる、という計算も同時に立てておきたい。
二十分おきのバスが運ぶ山
景信山へのアクセスは、JR・京王の高尾駅北口から高01系統の小仏行きに乗り、終点の小仏で降りる形が基本になる。2026年9月時点の時刻表では、平日は始発6時12分・最終20時12分。土曜と日祝は始発7時12分・最終19時12分で、平日より一時間遅く動きはじめ、一時間早く終わる。日中はおおむね20分間隔である。登る日が週末なら、平日の始発を当てにした計画を立てないこと。それでも高尾駅7時12分発に乗れば、午前のうちに山頂へ立てる。
車を使う場合は、小仏バス停の先、舗装路が登山道に切り替わるあたりに路肩の駐車スペースがあるが、収容台数は公表されていない。これだけ公共交通の便がよい山で、あえて車を選ぶ理由は多くない。むしろ景信山登山の計画は、帰りのバス時刻ではなく「出口」から逆算するのがいい。高尾山口へ抜けるか、陣馬高原下へ抜けるか。どちらを選ぶかで、この山の一日はまったく別の輪郭を持つ。