「丹沢」と一括りにされる山地の、本当の中心
丹沢山は神奈川県相模原市緑区・清川村・山北町の境にまたがる標高1,567mの山で、東西約40km・南北約20kmに広がる丹沢山地のほぼ中央、丹沢主脈の中心部に位置する。首都圏のハイカーが「丹沢」と一言で呼ぶ山域は実は塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・檜洞丸など複数の主峰からなる広大なエリアで、神奈川県の面積の約6分の1を占める。深田久弥が日本百名山として選んだのは丹沢山地中央部の峰々の総称としての「丹沢」であり、現在は山地中央のピークである丹沢山がその象徴とされる。
塔ノ岳(1,491m)が大倉尾根の終点として「日帰り丹沢」の代名詞となっているため、丹沢山地で最も登られているのは塔ノ岳のほうだ。しかし百名山としての称号を持つのは塔ノ岳ではなく、その先に約2時間進んだ位置にある丹沢山である。塔ノ岳から先に踏み込むかどうかで体験はがらりと変わる。丹沢山に立つということは、丹沢を日帰りハイクの場としてではなく、ひと連なりの山地として歩く側に回るということだ。一帯は丹沢大山国定公園に指定されている。
丹沢山ルート、四つの稜線
丹沢山ルートで最もよく使われるのは、塔ノ岳経由の大倉尾根ルート(バカ尾根)だ。小田急線渋沢駅からバスで大倉登山口(標高290m)へ入り、花立山荘・金冷シを経て塔ノ岳(1,491m)、そこから竜ヶ馬場・日高を越えて丹沢山に至る。登り約4時間40分、下り約3時間20分、標高差約1,280m。距離・登り続ける時間ともに首都圏では屈指の歩き応えで、「バカ尾根」の通称はこの単調な急登に由来する。
最短は北側、塩水橋からの天王寺尾根ルート(登り約3時間30分)で、本厚木から神奈中バスで宮ヶ瀬・札掛経由、塩水橋(標高540m)から本谷川沿いを経て天王寺尾根に取り付く。マイカー登山者に人気が高い。東側の宮ヶ瀬ルートは宮ヶ瀬湖から丹沢三峰を縦走する尾根で、登り約5時間55分。距離は長いが標高差を緩やかに稼ぐため、終始尾根歩きで森を満喫できるコースとして縦走派に好まれる。
ヤビツ峠から表尾根を経て塔ノ岳に登り、そのまま北上して丹沢山に至る縦走も古典的だ。三ノ塔・烏尾山・行者ヶ岳・新大日と続く表尾根は丹沢で最も眺望が開けた稜線で、塔ノ岳までで体力を消耗するが、見える景色の密度はバカ尾根を大きく超える。一泊二日でみやま山荘に泊まり、翌日蛭ヶ岳まで足を延ばすか、別ルートで下山する周回も人気だ。
丹沢山アクセス、首都圏からの近さ
丹沢山アクセスは、首都圏の主要登山対象として群を抜いて良い。新宿から小田急線で渋沢駅まで約1時間20分、駅前から神奈中バスで大倉登山口まで約15分。朝6時前に新宿を出れば8時には登山口に立てる計算で、塔ノ岳までで4時間、丹沢山まで含めても日帰り可能なペースで歩ける健脚者は実際多い。ただし「歩ける」ことと「無理がない」ことは別で、初めての場合は山頂のみやま山荘で一泊するのが現実的だ。
マイカーは大倉に大きな駐車場(県立秦野戸川公園、200台以上)があり、塩水橋・宮ヶ瀬湖畔にもそれぞれ無料駐車スペースがある。週末早朝6時には駐車場が満車になる山で、首都圏で最も登山者が密集する山域の一つだ。バスの本数も登山者の流れに合わせて充実しており、神奈中バスは大倉発の登山者向け臨時便を週末に増発する。
ブナ林、シカ、ヤマビル
丹沢山の標高800m以上はブナとミズナラを中心とした落葉広葉樹林に覆われている。塔ノ岳から丹沢山にかけての稜線では、ブナの巨木が点在し、特に5月の新緑と10月下旬から11月上旬の黄葉は息を呑む美しさだ。一方で、丹沢山地全体ではシカの個体数が増えすぎ、4,000頭以上が生息するとされる。下層植生が食べ尽くされ、神奈川県は登山道沿いに防鹿柵を設置して再生を試みている。稜線のあちこちに柵と若木の保護ネットが見えるのは、首都圏に近すぎる百名山が抱えるリアルな課題の表れだ。
丹沢のもう一つの特徴がヤマビルだ。標高800m以下の沢沿いや湿った林床に多く、4月から11月までの暖かい時期に活動する。塩水橋・宮ヶ瀬・ヤビツ峠周辺の下部ルートで頻繁に遭遇するため、ヒル除けスプレーと長靴下、ズボンの裾の防御は必須装備に近い。大倉尾根は標高が高い側の稜線が長く、ヒルに遭う確率は他の登山口より低い傾向がある。雨後はどのルートでもリスクが上がるため、雨上がりの低山部歩きは靴ひもや靴下に注意する。
みやま山荘、稜線で一泊する意味
丹沢山山頂にはみやま山荘が立つ。1955年の第10回国民体育大会山岳競技の会場として丹沢山が選ばれたことを契機に整備された山小屋で、2004年に改築された。通年営業、定員約60人、夕食は地元産食材を活かしたメニューで知られ、首都圏の山小屋では最も予約が取りにくい部類に入る。
稜線で一泊する意味は単に時間を稼ぐためではない。丹沢山の山頂は塔ノ岳ほどの大展望ではないものの、夜は東京・横浜の夜景が雲海越しに広がり、明け方には富士山が朝焼けに染まる。日帰り客が引いた稜線では鹿の鳴き声しか聞こえない時間帯があり、ここまで首都圏に近い場所で、稜線の静けさを体験できる場所は他にあまりない。
丹沢山の装備、服装、季節
丹沢山の装備は、低山と中級山岳の中間として組む。標高は1,567mと中程度だが、距離と累積標高差は北アルプス入門級に匹敵する。トレッキングシューズはミッドカット、ザックは20〜30L、長袖と防水透湿レインジャケットを基本装備とする。冬は標高1,300m以上で凍結と部分積雪があり、チェーンスパイクは12月から3月の必携装備に近い。本格的な雪山装備が必要なほど積もる年は限定的だが、凍結は毎冬必ず発生する。
丹沢山の服装と季節について、最も評価が高いのは新緑の5月とブナの黄葉の10月下旬。夏は標高が低い分湿気と気温が厳しく、ヒルも活発で、推奨シーズンではない。冬は積雪・凍結を承知のうえで歩けば富士山と相模湾の眺めが最もシャープな季節になる。水場は塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳の各山小屋で買えるが、登山道上の天然水場は限定的なので、夏季は最低2L、冬季も1.5Lを担ぐのが標準だ。携帯トイレを推奨する区間もある。
1955年の第10回国民体育大会山岳競技は、戦後初めて丹沢が登山対象として全国に紹介された出来事だった。それ以前の丹沢は林業と狩猟の山であり、登山道は今ほど整備されていなかった。みやま山荘・尊仏山荘・蛭ヶ岳山荘などの主要小屋は、いずれもこの国体を契機に建てられたものに源流を持つ。現在の首都圏ハイカーが歩いているのは、この70年で整備されてきた稜線だ。
蛭ヶ岳へ、檜洞丸へ
丹沢山を踏んだ次は、主脈をさらに北西へ進んで蛭ヶ岳(1,673m)を目指すのが自然な発展だ。丹沢山から蛭ヶ岳まで約2時間30分、丹沢山地の最高峰に立てる。みやま山荘で一泊して翌朝早く蛭ヶ岳を往復し、午後に大倉へ下りる二日プランが古典的なコース取りになる。
西丹沢に視野を広げると檜洞丸(1,601m)が控える。シロヤシオとトウゴクミツバツツジの群落で知られ、5月下旬から6月上旬の花期は丹沢山地全体で最も混雑するピークの一つだ。塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・檜洞丸を縦走する「丹沢一周」は二泊三日の中級ルートとして首都圏の経験者に長く親しまれてきた。丹沢山に登るということは、丹沢という巨大な山地を一段深く知る入口に立つということだ。