塩見岳という山
塩見岳は静岡県静岡市と長野県大鹿村の境に立つ標高3,052mの山で、南アルプス南部の中央、白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)と荒川三山・赤石岳・聖岳を繋ぐ稜線の要に位置する。深田久弥の日本百名山に選ばれており、南アルプス国立公園を構成する一座でもある。塩見岳の名は、山頂から塩見沢が流れ落ち、古くは山中で塩泉が湧いていたとの言い伝えに由来するとされる。
塩見岳は山頂部が東峰(3,052m)と西峰(3,047m)の双耳峰になっている。山体は花崗岩と古い堆積岩の混合で、山頂直下のガレ場の急登が塩見岳の代名詞として登山者に強く記憶される。北アルプスのように尖塔状の岩峰ではなく、南アルプスらしいどっしりとした山塊が、頂上部だけ岩がむき出しになって屹立する――この対比が塩見岳の山容を独特なものにしている。
鳥倉ルート、三伏峠から山頂へ
塩見岳の登山ルートで現在最もポピュラーなのが、長野県大鹿村の鳥倉(とりくら)登山口から三伏峠を経由するルートである。鳥倉から三伏峠小屋までが標準コースタイム約3時間半、三伏峠小屋から塩見小屋までさらに3時間、塩見小屋から山頂まで2時間――合計で約8時間半の長丁場で、塩見岳の登山は標準で1泊2日、健脚でも日帰りは推奨されない。
標準形は、1日目に鳥倉登山口から三伏峠小屋または塩見小屋まで、2日目に山頂をピストンして下山する形。塩見小屋は山頂まで近いが小ぶりで、繁忙期は予約必須。三伏峠小屋に泊まる場合は2日目の行動時間が長くなるため、出発は早朝(4時台)が現実的だ。
塩見岳のアクセスは、JR飯田線伊那大島駅または飯田駅から伊那バス・大鹿村営バス(季節運行)で鳥倉ゲートまで約1時間半、ゲートから登山口まで林道を1時間。マイカーは鳥倉林道に入る手前のゲートまで進入でき、ゲートに駐車場がある。鳥倉ゲートから登山口まで歩く時間を計画に入れる必要がある。
縦走の中継地としての塩見岳
塩見岳を本気で味わう登山者の多くが、塩見岳ピストンではなく縦走の中継地として塩見岳を踏む形を選ぶ。代表的なのが、北の農鳥岳から仙塩尾根を南下して塩見岳に至るルート、もしくは南の三伏峠から塩見岳・蝙蝠岳・荒川三山を経て赤石岳・聖岳・光岳まで縦走する南アルプス南部縦走である。
白根三山(広河原〜農鳥岳)から仙塩尾根を経て塩見岳に至るルートは標準で3〜4日、その先の荒川三山〜赤石岳〜聖岳〜光岳までを合わせれば6〜8日を要する長大な縦走になる。塩見岳は南アルプスの「縦に歩く山」の要で、山頂を踏むだけでなく、ここを通過することで初めて南アルプスを縦に繋ぐ感覚が得られる。
山頂直下のガレ場と、岩塊の頂
塩見岳の登山道は、塩見小屋から先で景色が一変する。山頂直下の天狗岩を巻いて取り付く岩稜は、ガレ場とザレ場の急登で、両手を使って登る場面が連続する。鎖はないが浮石が多く、落石を起こさない歩行が要求される。雨後と霧の日は特に滑りやすく、視界20メートル以下になれば撤退の判断も必要だ。
山頂は東峰と西峰の双耳峰で、両者をつなぐ稜線は数分。西峰から東峰へ移ると、東に間ノ岳・農鳥岳、南東に荒川三山・赤石岳、西に中央アルプスと御嶽山、北に仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳と、南アルプスの主要峰が一度に視界に入る。塩見岳のルート選びでは、この山頂部のガレ場を含めて「行きと帰りで難所が同じ場所にある」ことを意識して行程を組みたい。
装備と心構え、3,000m級遠隔地の現実
塩見岳の装備は、北アルプス槍穂と同等の本気の3,000m級縦走装備が前提となる。山頂部の気温は伊那盆地より18〜20℃低く、盛夏でも明け方は氷点近くまで下がる日がある。フリース、ダウン、防風シェル、雨具上下、手袋、ニット帽は基本装備。雪は6月から7月上旬に注意し、塩見小屋から山頂直下のガレ場は7月中旬まで残雪のトラバースが必要な日もある。
塩見岳特有のリスクは、登山口まで遠く、山小屋の間隔が広いことに起因する撤退の難しさだ。塩見小屋から下って三伏峠小屋に戻るだけでも3時間、鳥倉登山口まではさらに4時間半。途中で天候が崩れたり体力を消耗した場合のエスケープルートが乏しく、計画段階で予備日と装備を確保しておくのが現実的になる。
塩見岳の服装は、夏でも長袖長ズボン、フリースと風を切るシェルが基本。日帰り装備の延長で来ると、ガレ場の登りで明らかにペースが落ちる。手袋は岩稜帯で必須、ヘッドランプは予備電池とセットで携行する。雷雨対策として、午後1時には塩見小屋に戻れる行程を組むのが基本だ。
山頂からの眺めと、塩見岳という選び方
塩見岳の山頂からは、南アルプスの主要峰を北から南までほぼ全て視界に収められる。北に農鳥岳・間ノ岳・北岳の白根三山、その先に仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳。南に蝙蝠岳・荒川三山・赤石岳・聖岳・光岳。東に富士山、西に中央アルプスと御嶽山、北アルプス、白山。これだけの眺望が一度に得られる山頂は、日本の3,000m峰でも限られている。
塩見岳の時期選びは、山小屋営業に合わせて7月中旬から9月末がメイン。8月の盆過ぎから雷雨と寒気の入り方が変わり、9月中旬以降は紅葉と冷え込みが同時に進む。10月初旬には初冠雪、10月中旬には山小屋閉鎖となり、本格的な登山シーズンは終わる。
塩見岳は、北岳のように人気で、富士山のように象徴的で、ではない。代わりに、南アルプスを「縦」に味わうための地理的な扇の要として、ベテランの登山者から特別に大切にされてきた山である。白根三山を踏み終えたあとに「次はどこへ」と考える時、塩見岳の名が必ず浮かぶ理由は、登ってみてはじめて分かる。