白く光る岩が、山の名になった
光岳は赤石山脈(南アルプス)の最南部、静岡市と長野県飯田市の境に立つ。標高は2,591.5mで、南アルプス国立公園の最南端に位置する日本百名山の一座である。数字だけを並べれば、北に控える3,000m峰の一群より一段低い。だがこの山は、2,500mを超える山としては日本の最南端にあたる。北へ向かえばいくらでも高い山がある列島のなかで、南の果てに立つ2,500m峰という位置づけが、この山の性格をほとんど決めている。
山名は、かつて三隅嶽と呼ばれていた。現在の名は、石灰岩を主成分とする岩峰光石(てかりいし)が白く光り輝くことに由来し、明治期に陸地測量部が命名したとされる。遠州側から夕日に照らされたとき、岩肌が白く反射して見える。つまりこの山の名は、山頂に立った者ではなく、麓から何十年も見上げ続けた人々の目の記憶でできている。山の内側からではなく、外側から付けられた名前なのである。なお光石が山頂のどちら側にあるかは資料によって記述が割れており、現地では道標と小屋の案内で確かめたい。
深田久弥がこの山を踏んだのは1952年の夏、友人と二人で長野県側の易老渡から登った。『日本百名山』に選ばれて七十年以上が経つが、光岳はいまも百名山のなかで最も登られない側に属している。理由は岩場の難しさというより、単純に遠さにある。光岳登山を計画するとき、最初に向き合うのは鎖場でも雪渓でもなく、登山口までたどり着けるのかという問いだ。
ハイマツとライチョウが、ここで途切れる
光岳の学術的な重みは、山頂部の植生に集約される。ここはハイマツの世界最南端の自生地とされ、同時にライチョウ生息地の南限にあたる。氷期に列島を南下した高山の生き物たちが、その後の温暖化のなかで高いところへ退いていった——その退却戦の最前線が、この稜線なのである。静岡県の資料は、近くに立つイザルガ岳(2,540m)もライチョウ生息地の南限として挙げている。国の特別天然記念物である鳥が、この緯度で分布を打ち止めにする。
南へ目を移せば、光岳南部に広がる原生林は、本州で唯一の原生自然環境保全地域に指定されている。人の手を入れないことを前提として守られている森が、この山の足元に横たわっているわけだ。稜線にはゼンジヶ原(センジヶ原)と呼ばれる二重稜線の湿地帯があり、周氷河地形の名残である亀甲状土が見られる。南アルプスの他の山が高さと岩稜で語られるのに対して、光岳だけは緯度と森で語られる。
芝沢ゲートから先は、歩くしかない
光岳のルートは、2026年9月時点で県営光岳小屋の公式案内が示すとおり、易老渡(長野県飯田市)、畑薙(静岡市)、寸又峡(川根本町)の三方面に整理される。ただしこのうち寸又峡ルートは、登山道にアクセスする林道が大規模に崩落しているため通行不能とされ、小屋側は易老渡または畑薙方面での計画を推奨している。畑薙方面については、沢を歩行する区間があり、降雨後の増水によって歩行が困難となる場合があると案内されている。三本あるように見えて、実際に選べるのは二本、しかも片方は天候次第という構図だ。
最も歩かれている易老渡方面にも、いまは条件が付いている。2026年9月時点、下栗の里の周辺で土砂崩落による通行止めが生じており、迂回路を通って下栗地区へ入ることになる。道は狭く、通常よりも20〜30分多く時間がかかるとされる。そしてその先、芝沢ゲートから登山口までは一般車両が通行できない。歩行は可能である——この一文が、光岳のアプローチの性格を言い切っている。
芝沢ゲートには約50台分の駐車場とトイレ、登山相談所があり、協力金は1,000円程度。ゲートから易老渡までは約5km、徒歩で1時間30分ほどを要する。光岳アクセスは、登山口に立つ前の段階で一時間半の林道歩きを消費するところから始まるわけだ。期間限定で易老渡までのタクシー送迎が運行される年もあり、東京方面からは芝沢ゲートへ直行する夜行の登山バス「毎日あるぺん号」が夏季に設定される。ただし発着地も時刻も運賃も年によって書き換わるため、日程を組む前に運行会社の最新の発表を当たるほかない。
二十人の小屋と、九月の素泊まり
稜線上の宿は県営光岳小屋、ただ一つである。静岡県が所有し、川根本町が情報を発信している。2026年の営業は7月11日から9月30日まで。収容は小屋泊20名、レンタルドームテント6名、テントサイト10張で、テント場も含めて全日予約制となっている。20名という数字は、北アルプスの大型小屋を見慣れた目には極端に小さく映る。光岳の静けさは情緒ではなく、この収容人数によって物理的に担保されている。
料金は月曜から木曜で小屋泊11,000円、寝袋付き・素泊まり限定のレンタルドームテントが10,000円、テント泊は一人2,000円。金土日祝日およびハイシーズンは1,000円の加算がある。学生割引と70代以上の応援割引がそれぞれ一人1,000円、寝袋のレンタルが1,500円、防火毛布が1,000円。料金表そのものが、営利の山小屋というより公営施設の手触りを持っている。
計画上いちばん効いてくるのは、食事の扱いだ。夕食2,500円、朝弁当1,500円の提供は7月と8月のみで、9月は素泊まりとなる。夕食は豚汁と漬物に白ご飯、朝弁当はちらし寿司のおにぎり三つとドライりんごの行動食という構成で、華やかではないが二日分の疲れには過不足がない。裏を返せば、9月に光岳へ登る者は、この一食分を自分のザックに入れて稜線まで担ぎ上げることになる。同じ山でも、7月と9月ではパッキングの重さが違う。
水は小屋直下でも汲めるが急斜面にあるため、小屋は手前の静高平の水場で汲んでくることを勧めている。携帯電話は小屋の周辺でauとdocomoが使えるものの、小屋の中までは電波が届かないとされ、連絡は外に出て取ることになる。20名という枠と合わせて考えれば、光岳は「行けば泊まれる山」ではない。予約が取れた日程から行程を逆算する山である。
三泊四日を見積もるという作法
静岡県の公式資料は、静岡県側・長野県側のいずれのルートについても3泊4日以上・熟練者向けと位置づけている。総コースタイムを一次情報で押さえられる資料は乏しく、時間で刻むよりも日数で見積もるほうが実態に近い。しかもその日数には、片道1時間半の林道歩きと、下栗の里の迂回と、都市部からの長い移動が上乗せされる。この山が遠いというのは比喩ではなく、純粋に所要時間の問題なのだ。
光岳の季節は、事実上この小屋の営業期間に規定される。7月から8月は食事の提供があり、高山植物が動く時期でもある。9月に入ると小屋は素泊まりへ切り替わり、稜線の朝は冷え込みを増していく。10月、小屋が閉じたあとの光岳は、無人の稜線を自力で往復する領域に移る。百名山のなかでも、登れる時期の輪郭がこれほどはっきりと一軒の小屋の都合で決まる山は多くない。
装備は、二泊三日から三泊四日を自足するという前提で組む。9月なら食料を全量、7月・8月でも行動食と予備日分は自前で持つ。畑薙方面を選ぶなら、沢の歩行区間を織り込んだ足回りと、増水時に引き返すという判断を最初から日程のなかに含めておきたい。長い林道歩きはトレッキングポールの有無で最終日の疲労がはっきり変わる。そして何より、電波の届かない稜線で数日を過ごすことを、家族と職場に先に伝えておく。
光岳に登るという行為は、南アルプスの一座を踏むことであると同時に、ハイマツとライチョウが到達した南の果てに立つことでもある。白く光る岩を見上げて名を付けた遠州の人々から、易老渡を詰めた深田久弥まで、この山は一貫して「遠くから眺め、覚悟を決めて向かう山」であり続けてきた。芝沢ゲートに車を置いて歩き出す最初の一時間半は、その作法を、いまも律儀に引き継いでいる。