南アルプスの女王、三つのカールを抱える山
仙丈ヶ岳は標高3,033m、山梨県南アルプス市と長野県伊那市の県境にそびえる南アルプス北部の主峰だ。南アルプス国立公園の核心部に位置し、北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰、南アルプスの北岳・甲斐駒ヶ岳のような鋭い岩稜の山ではなく、山頂を中心に三つの氷河カール(大仙丈カール・小仙丈カール・薮沢カール)が広がるたおやかな山として知られる。深田久弥は『日本百名山』で仙丈ヶ岳を「南アルプスの女王」と称し、隣の「南アルプスきっての偉容」甲斐駒ヶ岳と対をなす山として位置づけた。
仙丈ヶ岳の魅力は、3,000m峰でありながら稜線と花畑が主体の歩きやすい山域である点にある。山頂部のカールには、チョウノスケソウ、コマクサ、シナノキンバイ、ハクサンイチゲなど高山植物の群落が広がり、7月から8月の最盛期には南アルプスでも屈指の花畑となる。岩稜帯の通過がほぼ不要な3,000m峰として、初めての南アルプス登山の対象として推薦されることが多い山だ。
北沢峠から、小仙丈尾根と薮沢ルートの周回
仙丈ヶ岳ルートは、長野県側の北沢峠(標高2,032m)を起点とする一本に集約される。北沢峠から仙丈ヶ岳山頂までの標高差は約1,000m。ルートは大きく二本あり、北沢峠から五合目を経て小仙丈ヶ岳を踏んで山頂に至る小仙丈尾根ルートと、北沢峠から薮沢を遡って馬の背ヒュッテ経由で山頂に至る薮沢ルート。両者を組み合わせて周回する計画が定番で、登りに小仙丈尾根、下りに薮沢ルートを取るのが標準的な歩き方になる。
標準的なスケジュールは、北沢峠から日帰りピストン(コースタイム7〜8時間)、あるいは仙丈小屋・馬の背ヒュッテに一泊する一泊二日。健脚者の日帰りも現実的だが、北沢峠までのアクセスを含めると首都圏からの完全日帰りは難しく、北沢峠の山小屋に前泊して翌朝早出するか、仙丈小屋に一泊して翌日に下山するパターンが一般的だ。隣の甲斐駒ヶ岳と組み合わせて二泊三日で両座を踏む計画は、南アルプス北部入門の定番ラインとして広く歩かれている。
大仙丈・小仙丈・薮沢、三つのカール地形
仙丈ヶ岳の地形的な核心は、山頂を取り囲む三つの氷河カールだ。最終氷期に氷河が削り取った半円形の谷で、南東斜面の大仙丈カール、北東斜面の小仙丈カール、北西斜面の薮沢カールの三つが山頂の周囲に展開する。日本の3,000m峰でこれだけ明確な氷河地形を擁する山は限られており、千畳敷カール(中央アルプス・木曽駒ヶ岳)と並んで日本の氷河地形の代表的な事例として知られる。
小仙丈尾根を登ると、まず小仙丈カールが眼下に広がる。さらに進んで山頂に至ると、南東側の大仙丈カールが見下ろせ、北西側の薮沢カールも視界に入る。カールの底には高山植物の絨毯が広がり、夏の最盛期にはカール全体が花畑となる。仙丈小屋は薮沢カールの中、馬の背ヒュッテも薮沢に近い位置に立ち、カール地形の中に泊まれる山小屋として独特の立地を持つ。仙丈ヶ岳に登るという行為は、山頂を踏むことであると同時に、カール地形の中を歩くことでもある。
仙丈小屋、馬の背ヒュッテ、北沢峠の山小屋群
仙丈ヶ岳周辺の山小屋は、登山計画の骨格そのものだ。仙丈小屋は山頂直下、薮沢カールの中に立つ標高2,890mの山小屋で、仙丈ヶ岳ピストンの拠点として最も人気が高い。山頂までは徒歩約30分、ご来光や夕焼けを稜線で過ごすのに最適な立地。馬の背ヒュッテは薮沢ルートの中継点に立ち、こちらも仙丈ヶ岳登山の拠点として機能する。北沢峠周辺には甲斐駒ヶ岳と共通の北沢峠こもれび山荘・長衛小屋・仙水小屋があり、両座を組む登山者の拠点となる。
ピーク時の予約は数週間から数ヶ月前に必須。仙丈小屋・馬の背ヒュッテとも収容人数は限られているため、特に8月のお盆と10月初旬の紅葉期は早期予約が望ましい。甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳を二泊三日で組む計画では、北沢峠の山小屋に初日と三日目に泊まり、二日目に仙丈小屋に泊まる、あるいは北沢峠に二泊して日帰りで両座を回る、と複数の組み方が成立する。仙丈ヶ岳の登山計画は、これらの小屋の予約状況と歩き方の組み合わせから自然に決まってくる。
夏の三ヶ月、南アルプス林道バスの運行と季節
仙丈ヶ岳の時期は、無雪期に関しては概ね7月初旬から10月初旬。南アルプス林道バスの運行期間(毎年6月下旬〜11月上旬)が登山シーズンと重なり、バス運行期間外は北沢峠への一般的なアクセス手段が事実上閉ざされる。7月は梅雨明け後の高山植物の最盛期、8月は最も登山者が多くピーク、9月後半から10月初旬は紅葉が見頃で晴天率が高い。10月中旬以降は山小屋の営業が終了し、稜線は冬装備の領域に入る。
仙丈ヶ岳の服装と装備は、3,000m級の長時間行動を前提に組む。岩稜帯通過がほとんどない山なのでヘルメットの必要性は他の3,000m峰よりは低いが、フリースと防風防水のレインウェアは省けない。シューズはミッドカット以上の登山靴、ザックは日帰りでも25L、一泊なら30L以上が標準。夏でも山頂の朝晩は5〜10℃まで下がるため、薄手のダウンか厚手のフリースを携行したい。北沢峠から仙丈小屋までは半日の登りで、無理のないペースで登れば高山病のリスクは比較的低く抑えられる。
仙丈小屋から見るご来光は、東に甲斐駒ヶ岳・八ヶ岳・富士山、南に北岳・間ノ岳・農鳥岳の白根三山、西に中央アルプス、北に北アルプスの槍・穂高連峰という、本州中部の主要山岳をほぼすべて視界に収める構図になる。特に隣の甲斐駒ヶ岳が朝日で白く染まる時間帯は、仙丈ヶ岳側からしか得られない景観だ。新月期の夏の夜は天の川がカールの上に流れ、薮沢の谷を見下ろしながらの星空観望が小屋のテラスから可能になる。
戸台口、仙流荘、北沢峠 — 南アルプス林道のアクセス
仙丈ヶ岳のアクセスは、甲斐駒ヶ岳と共通で、JR中央本線伊那市駅または岡谷駅から路線バスで仙流荘(戸台口)まで約1時間、そこから南アルプス林道バスで北沢峠まで約50分。南アルプス林道はマイカー規制となっており、必ず仙流荘でバスに乗り換える必要がある。山梨県側からは早川町・芦安経由のルートもあるが、仙丈ヶ岳の場合は長野県側からの北沢峠アクセスが圧倒的に標準。
首都圏からは新宿駅から特急あずさで伊那市駅まで約3時間半、または岡谷駅まで約3時間。マイカーなら中央自動車道伊那ICから仙流荘まで約30分。首都圏からの当日北沢峠入りは時間的に難しく、前夜に伊那市内や仙流荘に泊まる、または初日に北沢峠まで入って小屋泊する計画が現実的になる。下山後は伊那市内の温泉、または高遠温泉、駒ヶ根の温泉で汗を流して帰路につく。仙丈ヶ岳に登るという行為は、南アルプス北部のたおやかな稜線と氷河カールを歩くことであり、隣の甲斐駒ヶ岳とのセットで南アルプスの両極端を体験することでもある、入門にして奥の深い一座の登山になる。