天城山という山
天城山は伊豆半島の中央部、静岡県伊豆市・東伊豆町・賀茂郡河津町にまたがる山塊で、万三郎岳(ばんざぶろうだけ、1,406m)を最高峰とする連峰の総称である。単独峰ではなく、万二郎岳(1,299m)、万三郎岳、遠笠山(1,197m)と続く稜線そのものを「天城山」と呼ぶのが正確だ。深田久弥の日本百名山の最低標高クラスに入る一方、海から直接立ち上がる独立性の高さで百名山に選ばれている。
天城という名は、北側の伊豆市と南側の河津町を結ぶ「天城越え」の道に由来する。川端康成『伊豆の踊子』の冒頭の峠、松本清張の短編『天城越え』、石川さゆりの同名歌謡曲――この山域は文学の風景としても、戦前から戦後にかけての日本人の記憶に染み込んでいる。山頂から見下ろす海と、太平洋から立ち上がる雲の塊は、日本のほかの百名山にはない、伊豆半島ならではの眺めだ。
万二郎・万三郎、二つの頂をつなぐ縦走
天城山の登山道として最も歩かれているのが、天城高原ゴルフ場前から万二郎岳・万三郎岳を周回するシャクナゲコースである。標高約1,050mの登山口から出発し、樹林帯を抜けて万二郎岳に登り、稜線伝いに馬の背を歩いて石楠立(はなだて)を越え、万三郎岳へ。下りは涸沢分岐から登山口に戻る周回で、標準コースタイムは4時間半前後。
万二郎・万三郎の二峰間には大きなアップダウンがなく、稜線の最高地点と最低地点の差は100mに満たない。難所と呼べる岩場はないが、根が露出した黒土の道が雨後はよく滑り、ストックや手袋の有無で体感が変わる。天城山の登山は穏やかな稜線歩きが基本で、本格高山に挑む前の足慣らしとして長く愛されてきた山でもある。
天城山のアクセスは、JR伊東線伊東駅から東海バスで天城縦走登山口へ約1時間。冬季と平日は便数が大きく減るため、伊東駅前でレンタカーを借りる選択肢も現実的だ。マイカーの場合、登山口にトイレ付きの大きな駐車場があり、シャクナゲ期と紅葉期は朝8時で満車になる日がある。
アマギシャクナゲと原生林の道
天城山を象徴する花がアマギシャクナゲ(ホンシャクナゲの変種、天城山の固有種に近い扱い)で、例年5月下旬から6月上旬にかけて石楠立から万三郎岳の稜線一帯がピンクに染まる。シャクナゲは樹高2〜3メートルの低木で、稜線の足元から目の高さまで隙間なく咲き、登山道がそのままトンネルになる箇所もある。
シャクナゲ以外の見どころも厚い。標高1,000m以上の天城山稜線はブナ、ヒメシャラ、アセビ、リョウブが混じる温帯落葉樹の原生林で、特にヒメシャラ(夏椿の仲間)の赤褐色の樹皮が連続する区間は、日本の山でも他にあまり例がない。林床はコケと落葉に覆われ、雨後は緑が一段濃くなる。動植物相としては国の天然記念物「天城山ブナ林」が万三郎岳周辺に指定されている。
八丁池と旧天城トンネル、もう一つの天城
天城山には万二郎・万三郎の縦走とは別に、もう一つの古典的なルートがある。それが八丁池(はっちょういけ)コースで、修善寺方面の天城峠バス停から旧天城トンネル北口を経由し、稜線上の小さな火口湖・八丁池まで歩く道だ。万三郎岳まで踏まなくとも、伊豆半島の屋根を歩く感覚を得られる。
起点となる旧天城トンネル(天城山隧道)は明治37年竣工の石造アーチで、国の重要文化財。川端康成と踊子が抜けたのもこのトンネルである。文学散歩を兼ねて旧トンネルから入山し、八丁池で折り返す半日コースは、本気の登山というより伊豆の山岳文化を歩く一日として読み替えるとよい。山小屋はないが、八丁池畔に旧八丁池避難小屋がある。
ヤマビル、霧、そして装備の判断
標高1,406mと聞くと低山の括りだが、天城山は太平洋から立ち上がる山なので霧と雨が出やすい。冬を除く季節、午後の稜線で視界が30メートル以下に落ちる日は珍しくない。万二郎・万三郎の縦走は道が明瞭なので迷う心配は少ないが、ヘッドランプと予備の防寒着は薄い装備の人ほど効く。
もう一つ、天城山ならではの装備課題がヤマビルである。6月から9月の湿潤期、特に雨後の登山道は林床に潜むヤマビルの活動期と重なる。長ズボンを靴下の中に入れ、靴と裾にヒル除けスプレーを噴くだけで吸着率がかなり下がる。下山後にトイレで足元をチェックする習慣も合わせて持っておきたい。
天城山の服装の基本は、稜線で気温が市街より7〜10℃低くなる前提で組み立てる。夏でも長袖と長ズボン、フリースを1枚ザックに入れて、雨具上下は通年携行。ニホンジカが増えすぎてダニも増えたため、ハーフパンツは避けたほうが現実的だ。
シャクナゲ、新緑、紅葉、そして冬の富士
天城山の時期選びは、目的によって四つに分かれる。5月下旬から6月上旬は前述の通りアマギシャクナゲ。新緑とセットで稜線歩きの満足度がもっとも高い時期で、平日でも駐車場が早朝に満車になる。6月から9月はヒル期で、装備の準備に手間がかかるが、稜線の苔が最も瑞々しい時期でもある。
10月下旬から11月中旬の紅葉は、ブナの黄とヒメシャラの赤褐色、カエデの紅が層をなして稜線を染める。標高が低いぶん紅葉期は本州中部の高山よりひと月遅れで、首都圏の登山者にとっては紅葉シーズンの最終便として通いやすい。
そして見落とされやすいのが冬の天城山だ。12月下旬から3月初頭、稜線にうっすら雪が積もる日は、樹氷ごしに西側に富士山、北側に南アルプスが並ぶという、ほかの百名山にはない眺めが得られる。海と富士を一度に見下ろせる百名山は、日本でも天城山と伊豆山系の数座だけ。シャクナゲと富士で違う山に思える、それが天城山の二つの顔である。