標高2,999m、一般登山道の限界に立つ山
剱岳は富山県上市町、中部山岳国立公園の北部にそびえる標高2,999mの岩峰だ。3,000mに1メートル届かないこの高さは、初登頂時の測量値が踏襲されてきた結果で、現在も剱岳のアイデンティティの一部になっている。深田久弥は『日本百名山』でこの山を「岩と雪の殿堂」と呼び、北アルプスの中でも別格の存在として記述した。一般登山道として登れる山のうち、国内で最も難易度が高い山と位置づけられるのが剱岳であり、毎年のように墜落・滑落による死亡事故が発生する山でもある。
剱岳の登山が他の3,000m峰と決定的に違うのは、山頂直下の岩稜が単なる「鎖場のある稜線」ではなく、垂直に近い岩壁を鎖と鉄杭で登り下りする本格的な岩場で構成されている点にある。「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」と呼ばれる二箇所の核心部は、それぞれ垂直の岩壁と、岩壁の中腹を横にトラバースする区間で、足場の鉄杭一本を踏み外せば即墜落につながる。槍ヶ岳の穂先や奥穂高岳のジャンダルムを通過したことがある経験者でも、剱岳は別格と語る人が多い。
別山尾根と早月尾根、二本の道
剱岳ルートは一般道として大きく二本ある。一つが別山尾根ルートで、立山黒部アルペンルートで室堂に入り、雷鳥沢、別山乗越、剱沢小屋を経て剣山荘または剱沢小屋から往復する道。距離はやや長いが標高差を分散させやすく、剱岳登山の標準ルートとして最も多く利用されている。もう一本が早月尾根ルートで、富山県上市町の馬場島(標高760m)から早月小屋を経て山頂までを一本の尾根で詰める。標高差2,200mを超える日本屈指の長大な尾根ルートで、別山尾根よりも体力的な負荷ははるかに大きい。技術的な核心は別山尾根の方が高いが、早月尾根は持久力の試される道として知られる。
別山尾根の標準スケジュールは二泊三日。一日目に室堂から剱沢小屋または剣山荘まで上がって泊、二日目に剱岳を往復、三日目に下山。早月尾根の場合は馬場島から早月小屋まで一日かけて登り、翌日山頂を踏んで下山する一泊二日、もしくは早月尾根を登って別山尾根を下る縦走として二泊三日が組まれる。バリエーションルートとしては八ツ峰、源次郎尾根、チンネ、北方稜線などがあり、いずれも岩登りの技術とロープワークを要する上級者の領域になる。
カニのタテバイ、カニのヨコバイ — 鎖と鉄杭の核心
別山尾根ルートの核心は、平蔵の頭から先の岩稜帯にある。前剱を越え、平蔵の頭・平蔵のコルを通過し、山頂直下の「カニのタテバイ」に取り付く。タテバイは垂直に近い岩壁を約30m登る区間で、鎖と鉄杭が連続的に打たれている。三点支持を徹底し、混雑時は前の登山者との間隔を必ず確保する。タテバイを越えれば山頂は近いが、登りと下りでルートが分けられているのが剱岳の岩場の特徴で、下山時には別途「カニのヨコバイ」を通過することになる。
ヨコバイは岩壁の中腹を横方向にトラバースする区間で、最初の一歩を出すために岩壁から下方の見えない鉄杭に足を置く必要がある。視覚的に最も恐怖を感じる場所で、ここで足がすくみ動けなくなる登山者は珍しくない。剱岳の事故統計を見ると、滑落事故は山頂往復の核心部だけでなく、前剱や一服剱の下りの何気ない岩場でも発生している。疲労が蓄積する下りで集中力を切らさないことが、剱岳を無事に降りるための前提になる。
1907年、陸地測量部の初登頂と「点の記」
剱岳は日本アルプスの3,000m級の中で最後まで未踏とされた山の一つだった。古くは「針の山」「地獄の山」として恐れられ、信仰登山の対象ですら除外されていた。近代以降の初登頂は1907年(明治40年)、参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎一行による測量登山で、別山尾根からの登頂とされる。ところが山頂で一行は奈良時代の修験者が残したとされる錫杖頭と鉄剣を発見した。1,000年以上前にすでに登頂者がいたという事実は、剱岳の歴史を一気に書き換える出来事になった。
柴崎一行の登山行程は新田次郎の小説『劒岳 点の記』に描かれ、2009年には木村大作監督により同名で映画化された。剱岳の登山史を語るとき、この測量隊と修験者の二重の物語は必ず参照される。山頂に立つ登山者は、1907年の測量隊と、それ以前の修験者と、現代までに同じ岩稜を辿ったすべての登山者の延長線上にいる。剱岳に登るという行為は、単に岩場を越える技術行動であると同時に、千年以上続いてきた登山の歴史の一断面を歩くことでもある。
夏の二ヶ月、雪渓と落石のリスク
剱岳の時期は、無雪期に関しては概ね7月中旬から9月下旬の二ヶ月強。7月初旬までは剱沢に雪渓が残り、ピッケル・アイゼンが必要になる。8月は最も登山者が多く、山小屋の予約は数ヶ月前に必須。9月後半は紅葉が始まり、気温が下がるが晴天率は高い。10月以降は雪が降り始め、山小屋の営業も終了する。剱岳の山小屋営業終了後は冬山の領域で、雪と凍結した岩稜での剱岳登山は完全に別物の技術行動になる。
剱岳の服装と装備は、3,000m級の岩稜帯通過を前提に組む。ヘルメットは必須で、別山尾根の鎖場では落石のリスクが常時ある。シューズはミッドカット以上のしっかりした登山靴、ザックは二泊三日分の食料と防寒を背負える40L前後。岩稜帯通過時は不要な荷物は剣山荘・剱沢小屋にデポして身軽になるのが基本で、サブザックがあると山頂往復が楽になる。夏でも稜線の朝晩は5〜10℃まで下がり、フリースと防風防水のハードシェルは省けない。雷雨のリスクが高い午後に岩稜帯に入ることは避け、山小屋を未明に出発して午前中に下山する計画が定石になる。
剱沢小屋、剣山荘、早月小屋 — 山小屋という安全装置
剱岳周辺の山小屋は、登山計画の骨格そのものであると同時に、安全装置でもある。剱沢小屋は剱岳の懐に位置する歴史ある小屋で、剱岳を仰ぎ見る立地として知られる。剣山荘は剱岳の登山道に最も近い小屋で、山頂往復の前夜泊として人気が高い。剱御前小舎は別山乗越にあり、立山方面との接続点として機能する。早月小屋は早月尾根の中間地点にあり、馬場島からの長い登りを一日目で締めくくる中継拠点になる。
いずれの小屋もピーク時は完全予約制で、特にお盆と紅葉期は数ヶ月前に満室になる。剱岳の場合、山小屋の予約状況が登山計画そのものの可否を決めるため、登山日程は小屋の空き状況から逆算して組むことが多い。日帰り強行は別山尾根・早月尾根とも現実的ではなく、必ず山小屋一泊以上の計画になる。
剱岳の山頂往復は、ヘッドランプで未明に剣山荘を出発し、朝の早い時間に岩稜帯を通過するのが定石。混雑期の核心部は時に1時間以上の渋滞が発生し、ヨコバイの取付きで足がすくむ登山者が出ると後続が動けなくなる。早立ちすれば渋滞前に通過でき、午後の雷雨リスクが高まる前に下山できる。剣山荘の朝食を弁当に変えてもらい、4時前後の出発を組むのが、剱岳登山者の標準的な選択になる。
立山黒部アルペンルートと馬場島 — 二つの起点
剱岳のアクセスは、別山尾根ルートなら立山黒部アルペンルートで室堂に入る。富山県側は富山地方鉄道立山駅からケーブルカー+高原バスで約2時間、長野県側は信濃大町から扇沢経由で約4時間。室堂から雷鳥沢、別山乗越を経て剱沢小屋までは約4〜5時間の歩きで、登山口に立つだけで一日近くを要する。早月尾根ルートの場合は富山駅から馬場島までバスとタクシーの乗り継ぎ、またはマイカーで馬場島駐車場まで入る。馬場島からの早月尾根は登山口の標高が低く、アルペンルートの観光客の流れから切り離されている分、静かな登山が組める。
首都圏からは北陸新幹線で富山駅まで約2時間、そこからアルペンルートまたは馬場島まで半日近くを要する。前夜に富山または立山駅周辺に入って当日早朝にアルペンルートに乗るか、室堂のホテルに前泊して翌日剱沢に入るのが現実的な計画になる。下山後は富山県側に下りるなら立山駅周辺の温泉、長野県側に下りるなら大町温泉郷で汗を流す。剱岳に登るという行為は、馬場島から見上げる岩峰の姿か、室堂から仰ぐ剱沢越しの姿か、どちらの剱と向き合うかから始まる計画でもある。