宝登山という山
宝登山は埼玉県秩父郡長瀞町に立つ標高497mの山で、秩父盆地の北端、荒川の屈曲点である長瀞渓谷の真上に位置する。標高は決して高くないが、秩父神社・三峯神社と並ぶ「秩父三社」のひとつ、宝登山神社を山麓と山頂に抱える信仰の山として、関東の登山者と参拝者に長く親しまれてきた。
山名の「宝登」は、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征伝説に由来する。山中で大火に襲われた一行を、白い山犬たちが現れて火を消し止め、安全な山頂まで導いた――その故事から「火止」と書かれ、後に縁起の良い字に直して「宝登」と表記されるようになった、という伝承である。山犬を眷属とする宝登山神社の信仰は、秩父地方の山岳信仰の原型のひとつであり、山そのものが祭神の依代として扱われてきた経緯がある。
長瀞駅から徒歩、もしくはロープウェイで
宝登山の登山ルートはシンプルだ。秩父鉄道長瀞駅から徒歩約10分で宝登山神社、そこから山頂まで表参道を約45分。標高差は400mほどで、よく整備された九十九折りの登山道が続く。子供連れでも歩ける勾配で、関東屈指の「気軽な信仰登山」の山と言ってよい。
ロープウェイ派には宝登山ロープウェイの選択肢がある。山麓駅から山頂駅まで約5分、標高差約230m。ベビーカーや高齢者を含む家族登山では、登りロープウェイ・下り表参道という組み合わせがもっとも自然だ。ロウバイ期と梅期の週末はロープウェイが混み合うため、始発(9時20分)を狙うのが現実的。
宝登山のアクセスは、池袋から西武鉄道・秩父鉄道を乗り継いで約2時間。マイカーの場合は宝登山神社周辺に有料駐車場が点在し、長瀞町営の無料駐車場もあるが、桜と紅葉のピーク期は午前10時には満車になる日が多い。
ロウバイ、梅、桜、ツツジ、花のリレー
宝登山の代名詞は、関東随一とされるロウバイ(蝋梅)の群落である。山頂の宝登山ロウバイ園には素心ロウバイ・和ロウバイ・満月ロウバイの3種、約3,000株が植えられ、例年12月下旬から2月中旬にかけて黄色い花が雪の中で咲き続ける。冬枯れの関東の山で、これほど鮮やかな花が見られる場所は他にあまりない。
ロウバイに続いて、2月中旬から3月中旬の梅、4月初旬の桜(山頂直下の桜並木)、4月下旬から5月初旬のツツジ、5月中旬のシャクナゲ――宝登山の時期選びは、花のリレーで一年の前半が回っていく。秋は10月下旬から11月中旬にかけて宝登山神社参道のモミジが鮮やかで、紅葉狩りと寺社参拝を兼ねた半日コースが組める。
宝登山神社と奥宮、秩父三社の流儀
山麓の宝登山神社は、秩父神社・三峯神社と並ぶ秩父三社のひとつ。本殿の彫刻は江戸後期の名工が手がけた極彩色で、近年再彩色されたものが現在の姿である。火災除け・家内安全・厄除けの神社として広く信仰され、毎年12月の例祭「秩父神社夜祭」と同時期の参拝者は多い。
山頂には宝登山神社奥宮(奥社)が鎮座する。表参道を登り切った先、ロウバイ園の手前にある小さな社で、ここまで足を運んで初めて宝登山参拝が完結する流儀になっている。山麓だけで満足せず、奥宮まで歩く――宝登山の登山は、観光ハイキングと信仰登山が同じ道で重なる、秩父らしい山の姿のひとつである。
低山だからこその装備の判断
標高497mの低山で、登山道もよく整備されているため、宝登山の服装は街歩きの延長で問題ない場面が多い。ただしロウバイ期と梅期の冬から早春は、山頂気温が長瀞駅より3〜5℃低く、北風が強い日は体感気温がさらに下がる。フリースと風を切る薄手のシェル、手袋とニット帽があれば写真撮影中に冷え切ることがない。
シューズはロープウェイ往復ならスニーカーで足りるが、表参道を下る場合は雨後に滑る粘土質の区間があり、ローカットでもグリップのあるトレッキングシューズに切り替えたい。革靴やフラットソールで滑って捻挫する例が冬期に毎年ある。
宝登山の登山で見落とされがちなのが、長瀞駅から山麓までの参道商店街での時間配分だ。長瀞は阿佐美冷蔵のかき氷、長瀞ライン下り、秩父鉄道のSL運行といった観光要素が密集しており、宝登山登山だけで半日を組むと食事処に入る時間が削られる。一日かけて長瀞渓谷と組み合わせる計画にすると、宝登山が自然に「秩父観光の中の信仰登山」になって、低山らしい厚みが出る。
山頂からの眺めと、秩父盆地という観方
宝登山の山頂からの眺めは、低山らしからぬ厚みがある。東に秩父盆地と荒川、その向こうに武甲山の白い石灰岩の壁。南西に両神山の鋸刃のような稜線、奥秩父・奥武蔵の連なり。冬の朝、空気が澄んだ日には、遠く北アルプスの白い稜線まで見える。山頂の小動物公園からは武甲山が額縁のように切り取られて見え、撮影スポットになっている。
宝登山に登ると、秩父盆地という地形が三方を山に囲まれた小さな天地であることが直感的に理解できる。武甲山がコンクリート原料として大規模に削られている姿、長瀞渓谷が荒川の屈曲によって作られた地形であること、両神山の鋸刃が古い火成岩の侵食の結果であること――短い登山の終点に立つだけで、秩父全体の地誌が一望のもとに広がる。標高ではなく地理で意味を持つ山、それが宝登山である。