秩父盆地を見下ろす石灰岩の山
武甲山は埼玉県秩父市と横瀬町の境にそびえる標高1,304mの山で、秩父盆地のどこからでも見上げることのできる地形の中心にある。秩父神社の御神体として古くから信仰の対象であり、毎年12月に行われる秩父夜祭では、武甲山の麓から下ろされた笠鉾と屋台が街を巡る。山名の由来は日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に甲(よろい)を奉納したという伝承に基づく。日本百名山ではないが、首都圏からのアクセスの良さと信仰の山としての厚みが重なり、関東の登山対象として年間を通じて登山者が絶えない。
削られる山という現実
武甲山の最大の特徴は、山体そのものが石灰岩で構成されており、北側斜面が大規模に採掘され続けているという事実にある。19世紀末からの石灰岩採掘で武甲山の北面は階段状に削られ、標高は1923年の旧記録1,336mから現在の1,304mへと32m低下した。日本の工業化を支えるセメント原料として、武甲山の石灰岩は東京や首都圏の都市インフラのなかに姿を変えて存在する。一方で、南側の登山道側からは採掘場は直接見えず、原生に近い樹林帯のなかを登る。
この「信仰の山」と「採掘される山」の二重性は、武甲山に登るときに無視できない。山頂から眺める秩父盆地の街並みと、足元の崩れた採掘場の岩塊が同じ視界に入る瞬間に、この山の現在の姿が形成された100年の歴史が、別の重みで見えてくる。
武甲山ルート、表参道と浦山口
武甲山ルートは主に2本ある。最も使われるのは表参道コース(一の鳥居ルート)で、横瀬駅または西武秩父駅からタクシーで「一の鳥居」(標高約530m)まで上がり、登り約2時間30分、下り約2時間。標高差約770mで、距離も短く整備された道だ。途中の不動の滝、不動明王、御嶽神社などを経由する古い登拝路で、二丁目から五十二丁目までの丁石が登山道沿いに残る。
もう一本の浦山口コースは秩父鉄道浦山口駅から橋立鍾乳洞を経由して山頂を目指す古典的なルートで、登り約4時間、下り約3時間。橋立鍾乳洞は武甲山の石灰岩地形を作る同じ地質要因で形成された鍾乳洞で、登山と組み合わせて見学できる。両ルートを組み合わせて表参道で登り浦山口で下る周回も組めるが、登山口の駅が異なるため、車を起点とした周回は基本的に避けるのが現実的だ。
武甲山アクセスと池袋からの距離
武甲山アクセスは首都圏の登山対象として最良の部類に入る。西武池袋線・西武新宿線で西武秩父駅まで池袋から特急で約1時間20分、横瀬駅まで普通電車で約1時間30分。横瀬駅から表参道の一の鳥居登山口まではタクシーで約15分。池袋を朝7時台に出れば9時には登山口に立てるという距離感は、関東の標高1,300m台の山としては破格に良い条件だ。
マイカーの場合は関越自動車道・花園ICから国道140号で1時間、一の鳥居の無料駐車場は約30台。秋の紅葉期と週末には朝7時台で満車になる。前泊なら秩父市街の温泉宿または横瀬町の宿が選択肢になるが、標準的には日帰りで完結する山として計画される。下山後の西武秩父駅前には「祭の湯」という大型温浴施設があり、登山後の汗を流す定型コースとして使われている。
武甲山の装備と服装、季節
武甲山の装備は、標高1,304mの関東の低山を歩く前提で組む。夏でも山頂気温は20℃前後、強風時の体感は15℃程度。化繊またはメリノの長袖、薄手のフリースかウィンドシェル、防水透湿のレインジャケットを基本セットとする。靴はくるぶしを覆うトレッキングシューズが望ましく、表参道の石階段と山頂直下のやや急な道では、運動靴では下りで膝への負担が大きくなる。
武甲山の服装は、季節幅を持たせる。武甲山の時期は通年で歩けるが、最盛期は4月の桜・新緑、11月の紅葉、1月から2月の冬枯れの冠雪富士眺望の三つ。秋の紅葉は表参道沿いのモミジが赤く染まり、登山道の石仏群と組み合わさる構図が特徴的だ。冬期は積雪と凍結が混在する日があり、チェーンスパイクまたは軽アイゼンを念のため携行したい。水場は表参道の途中(御嶽神社上の水場)が利用できるが、山頂直下にはない。最低1Lを担ぐ。
武甲山は石灰岩特有の植物相を持つ。石灰岩を好む「武甲山特産」のチチブイワザクラやチチブシャジンといった希少な植物が自生し、現在は採掘範囲外の南側斜面で保護されている。登山道脇の小さな看板を見ながら歩くと、植生の細やかさが意外に面白い。
山頂、秩父盆地と関東の山並み
武甲山の山頂は北側に展望台が設けられ、秩父盆地、奥に両神山、北西に三宝山・甲武信ヶ岳、北東に上信越国境の浅間山、南東に新宿副都心までを一望できる。一方、足元から見下ろす北面は石灰岩採掘場の階段状の地形が広がり、巨大な採掘車両が小さな点として動いているのが見える。秩父神社の御神体である山が、自らを建材として街に提供してきた100年の物理的な軌跡が、ここから視覚的に確認できる。
下山後の温泉は西武秩父駅前の「祭の湯」、または秩父市街地の宮本の湯が選ばれる。次に秩父周辺の山を続けるなら、北の両神山、東の三峰山・雲取山、南の蓑山が自然な選択肢になる。武甲山に登り終えて秩父市街地から再びこの山を見上げると、削られながらなお盆地を抱える山として、街と山との独特の関係性が見えてくる。