八ヶ岳が伏せた笠で終わる
編笠山は山梨県北杜市と長野県諏訪郡富士見町の県境に立つ標高2,523.72m——一般には2,524mと表記される——の山で、八ヶ岳連峰の最南端にあたる。北杜市の山岳ガイドはこの山をコニーデ型火山と説明し、山名は「編み笠を伏せたようななだらかな円錐形」の山容に由来するとしている。八ヶ岳という連なりは北の蓼科山から南へ延びてきて、赤岳・権現岳と岩を尖らせたあと、この一座でふいに角を落として終わる。南の高原側から八ヶ岳の稜線を眺めたとき、右端で唐突に丸くなる山、それが編笠山だ。
1964年6月1日に八ヶ岳中信高原国定公園の区域へ指定され、山梨百名山にも選ばれている。山頂は森林限界のハイマツ帯で、北斜面などには大きな岩塊がある。麓から見えるなだらかさと、実際に立ったときの荒々しさが一致しない——この落差が編笠山という山の性格を決めている。頂からは南アルプスや八ヶ岳の峰々を含む360度の展望が開け、ここに降った雨は富士川の支流を下って太平洋へ向かう。
観音平から、水の流れない川へ
編笠山のルートの中心は、南麓の観音平から北へ詰め上がる道である。観音平は標高約1,560mの展望公園で、ここから山頂までの標高差は964m。北杜市の登山コースガイドはこの往復を登り約3時間20分・下り約2時間30分、合わせて約5時間50分と案内し、難易度をグレード3Bとしている。数字だけ見れば日帰りで気持ちよく完結する山だが、後半が丸ごと岩であることを知らずに入ると、受ける印象はかなり変わってくる。
道はまず雲海展望台へ、そこから押手川へと順に高度を上げていく。押手川は「川」と名がついていながら、北杜市のガイドが「水はほとんど流れておらず」と書くとおり、流れらしい流れを持たない。ここは山頂へ直登する道と、青年小屋側へ巻いていく道の分かれ目でもあり、その日の脚と天候を見て進路を決める地点になる。
岩の海を渡る最後の一時間
押手川から上は様相が変わる。樹林が細くなり、やがて足元が土から岩へ置き換わっていく。大小の岩が斜面を埋め尽くすゴーロ帯で、北杜市のコースガイドが「ルート唯一の架けられた梯子」を挙げているのもこの上部にあたる。手を使う場面が出てくるものの岩は概ね安定しており、ペンキ印を追っていけば迷うような道ではない。ただし濡れた岩はよく滑る。雨の翌日や朝露の残る早い時間帯は、下りに余分な時間を見ておいたほうがいい。
岩を抜けると、山頂は拍子抜けするほど平らに開ける。ハイマツと岩が散らばるだけの広い頂で、視界を遮るものがない。南アルプスから八ヶ岳の峰々まで、遮られずに360度が回る。編笠山に登る理由の多くはこの一点に集約されていて、最南端という位置がそのまま、八ヶ岳という山群を一枚の絵として見せてくれる。北へ下る斜面にも大きな岩塊が積み重なり、それを伝って高度を落としていくと、鞍部に小屋の屋根が見えてくる。
鞍部の赤提灯と、乙女の水
青年小屋は編笠山と権現岳(2,715m)のあいだの鞍部に建つ。軒先に赤提灯を掲げ「遠い飲み屋」を名乗る小屋として知られる。2026年の営業は4月25日から始まっており、完全予約制。週末を中心に1日50名ほどまで予約を受けたいと小屋は書いている。素泊り8,000円、1泊2食11,500円。テント場だけは予約制ではなく、テントひと張り500円に1人あたり1,000円が加わる。11時から13時にはラーメン・カレー・おでんといった軽食も出る。
計画上見落とせないのは、権現小屋が2026年も休業している点だ(2026年9月時点、青年小屋の告知による)。編笠山から権現岳、さらに赤岳へと北上する縦走を考えるなら、この区間の宿は事実上青年小屋に集約される。八ヶ岳の南端は、山そのものよりも小屋の都合で行程が決まる場所だ。計画を詰める前に、小屋へ直接問い合わせておきたい。
水は小屋から徒歩4〜5分の湧水「乙女の水」に頼ることになる。冷たい湧水を自由に汲めるが、テント泊ならこの往復にかかる時間を計算に入れて幕営地と行動を組みたい。なお青年小屋は2026年8月11日付で、その年のアブの季節が終わったことを告げている。裏を返せばそれ以前の真夏はアブの出る山だということで、樹林帯の休憩には防虫の備えが要る。
県道が開いてから、閉じるまで
編笠山の季節は、山そのものよりも一本の県道に規定されている。観音平へ通じる県道618号観音平下久保線は11月下旬から4月下旬まで冬期閉鎖となり、そのあいだ観音平の駐車場へ車で入ることはできない。直近では2025年11月28日15時に規制が始まっている。北杜市が示す登山適期は5月中旬から10月中旬。4月から5月下旬が残雪期、11月下旬から3月下旬が積雪期という区分になっている。青年小屋が店を開ける4月25日と、この県道の閉鎖が解ける時期はほぼ重なっている——二つの資料を並べた編集部の観察だが、南麓から入る登山者にとっては同じ一本の季節の話だ。
装備は2,500m級の一日行動を前提に組む。山頂のハイマツ帯は遮るものがないぶん風がそのまま当たり、夏でも防風の効くシェルとフリースは外せない。服装以上に効いてくるのは足元で、ゴーロ帯の下りで足首を守るミッドカット以上の登山靴、梯子と岩場で手を保護するグローブがあると通過がずいぶん楽になる。日の短くなる10月は、下山時刻から逆算してヘッドランプを持つ。北杜市は観音平の周辺を紅葉の名所として挙げており、登山口に戻ってからもうひと楽しみある時期にあたる。
小淵沢から八ヶ岳高原ラインを上がる
編笠山のアクセスの起点は、中央本線の小淵沢駅と中央道小淵沢ICである。北杜市観光協会は小淵沢ICから県道11号・八ヶ岳高原ライン・県道618号を経由して観音平まで約8kmとし、小淵沢駅からはタクシーで約15分・約3,200円としている。北杜市の登山コースガイドはICから約15分、駅からタクシーで約20分と案内する。どちらの資料も登山口へ通じる路線バスには触れておらず、公共交通で入るなら駅からのタクシーが前提になる。
観音平の駐車場は、規模の案内が資料によって開いている。北杜市の登山コースガイドは「50台分ほど」として登山シーズンには早朝から満車になると書き、北杜市観光協会は普通車20台と記す。どちらにせよ、盛期の週末に遅く着いて余裕のある場所ではない。仮設トイレはゴールデンウィークから県道の冬期閉鎖までのあいだ、3台が設置される。
長野県側からは、富士見高原を起点とする道が編笠山へ延びている。中央本線の信濃境駅からのアプローチで、南麓の観音平とは反対の、西の裾から登り上げる形になる。同じ2,524mの頂へ向かいながら、南から登るのと西から登るのとでは、たどり着くまでの森の表情が変わる。県境に立つ一座は、二つの県から二通りの道を受け止めている。