諏訪富士という呼び名
蓼科山は長野県茅野市と北佐久郡立科町の境にまたがる標高2,531mの火山で、八ヶ岳連峰の最北端に位置する。諏訪湖の北東約20kmの位置に独立峰のような円錐形の山容を見せ、麓の諏訪盆地からは富士山と見紛うシルエットで立ち上がる。「諏訪富士」という別名は、この左右対称の整った姿に由来する。八ヶ岳連峰のうち、夏沢峠より北側を北八ヶ岳と呼ぶが、蓼科山はその北八ヶ岳の最高峰であり、深田久弥の日本百名山にも独立した一座として選定されている。
地質的には複式火山で、最後の噴火は約30万年前と推定される。山頂部は流動性の低い溶岩が押し出されてできた巨大な岩塊群で覆われており、樹木が育たない。直径100mを超える台地状の山頂を歩くと、足元は人の頭ほどもある角ばった溶岩で埋め尽くされている。八ヶ岳連峰の他のピークと比べても、山頂の景観が特異なのが蓼科山の最大の特徴だ。一帯は八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている。
三本の蓼科山ルート、どこから登るか
蓼科山登山の主要ルートは三本ある。最もよく使われるのは女神茶屋ルート(すずらん峠園地・女神茶屋登山口、標高約1,720m)で、白樺湖と女神湖を結ぶビーナスライン沿いから入る。登り約2時間30分、下り約2時間。序盤は緩やかな樹林帯、中盤からは石がゴロゴロした急登に変わり、山頂直下では蓼科山特有の岩塊地帯を抜ける。標高差約800m、距離は短いが体感はそれなりに登り応えがある。
北東側の大河原峠ルート(標高2,093m)は、佐久平側からアクセスする最短コースで、登り約2時間、下り約1時間30分。標高差は約440mと小さいが、双子山・天祥寺原・将軍平を経由するなだらかな尾根歩きから始まり、最後の200mで一気に岩塊の急登に変わる。コントラストが大きく、蓼科山の山容を体感するうえで最も印象に残るルートとして知られる。
北西側の蓼科牧場・七合目ルートは、蓼科牧場のゴンドラまたは車で七合目登山口(標高1,900m)まで上がり、馬返し・将軍平を経て山頂へ至るコース。登り約2時間。樹林帯から将軍平の蓼科山荘までは緩やか、そこから山頂までは岩稜の急登となる。三本のうち最も難所が短く、初めての蓼科山登山として地元のガイドが推奨することが多い。
蓼科山アクセス、ビーナスラインの恵み
蓼科山アクセスは、長野県の主要観光道路であるビーナスライン沿いに登山口が並んでいる点で恵まれている。新宿からは中央自動車道・諏訪インターチェンジまで車で約2時間半、そこから女神茶屋登山口までさらに約40分。公共交通の場合、JR茅野駅からアルピコ交通バスで「女神湖」または「蓼科牧場」方面に入る経路が一般的で、夏季と紅葉期は登山口直結の便が増発される。
大河原峠登山口は佐久平側からアクセスする。北陸新幹線で佐久平駅まで降り、レンタカーか乗合タクシーで約1時間。標高2,000mを超える高所まで車で上がれるため、標高差400mで百名山を1座踏める希少な登山口として、関東圏のヘビーリピーターに人気が高い。各登山口に無料駐車場(女神茶屋50台、大河原峠40台、蓼科牧場100台超)が整備されている。週末は早朝6時には満車になることがあるため、夏季は前夜泊か早朝発が無難だ。
蓼科山の山頂、溶岩塊と360度の眺め
山頂直下の登りは、どのルートから入っても最後の200〜300mが石と岩の積み重なった急斜面に変わる。ペンキの目印を追って岩を縫って登り切ると、突然視界が開け、直径200mほどの平坦な岩塊台地に出る。中央に蓼科神社の奥宮の石碑、東端に蓼科山頂ヒュッテ(標高2,520m)。山頂標識まで岩を渡り歩いて約5分、足元は不安定だが手をつくほどではない。
山頂からの眺望は、独立峰ゆえに360度開ける。南には北横岳・縞枯山を従えた北八ヶ岳の稜線、その先に赤岳・横岳・硫黄岳の南八ヶ岳の鋭い峰々。西には北アルプスが槍ヶ岳・穂高岳から後立山連峰まで一望でき、北側には浅間山と志賀高原、東側には甲武信ヶ岳・金峰山の奥秩父の主稜線。条件が良ければ富士山も視界に入る。北八ヶ岳・南八ヶ岳・北アルプス・南アルプス・中央アルプス・奥秩父・浅間山を一日で見渡せるピークは、関東甲信越でも数えるほどしかない。
縞枯れの森と将軍平の山小屋
蓼科山南西斜面では、シラビソ・オオシラビソが帯状に立ち枯れる「縞枯れ現象」が観察される。北八ヶ岳一帯の標高2,200〜2,500m帯に見られる現象で、樹齢ごとに帯状に枯れては再生する独特の植生サイクルだ。女神茶屋ルートの中盤、樹林帯の隙間から南西斜面を見上げると、白く帯状に立ち枯れた木立がはっきり見える。
将軍平(標高2,350m)には蓼科山荘が立つ。大河原峠コースと蓼科牧場コースが合流する地点で、山頂までは標高差約180m、休憩なしで30分。山頂直下の蓼科山頂ヒュッテは標高2,520m、日本でも有数の高所にある小屋で、宿泊・喫茶・売店を営む。山頂で温かい食事と飲み物が買える稀少な百名山であり、登り切ったあとに山頂で1時間休めるという余裕が、この山の体験を一段引き上げている。
蓼科山の装備、服装、季節
蓼科山の装備は、標高2,500m級の独立峰を一日で踏む前提で組む。夏でも山頂気温は10〜15℃前後、強風時は5℃を下回る日もある。化繊またはメリノの長袖、薄手のフリース、防水透湿のレインジャケット、ニット帽と薄手のグローブを基本に持つ。靴は岩塊の急登でくるぶしまで保護できるミッドカットのトレッキングシューズが望ましい。山頂直下の岩塊地帯はソールが硬い靴のほうが疲れにくいという、蓼科山特有の事情がある。
蓼科山の服装と時期は、季節で大きく変える。一般的な登山シーズンは5月下旬から10月中旬。6月の梅雨明け前後はシャクナゲが咲き、7〜8月の高山では雷雨と熱中症を意識して早朝出発を徹底する。9月下旬から10月中旬はカラマツとダケカンバの紅葉がビーナスライン沿いを染め、登山者数のピークを迎える。11月から4月は積雪期に入り、蓼科山の冬季登山は山頂直下が強風と凍結岩で難易度が跳ね上がる。アイゼン・ピッケル・冬装備を揃えた経験者向けの山になる。水場は登山道上にないため、夏季は最低1.5Lを担ぐ。
蓼科山は「八ヶ岳の妹」とされる伝説を持つ。八つの峰に分かれた八ヶ岳の末妹が泣いて流した涙が川となり諏訪湖を作ったという物語で、諏訪・茅野地域では今も語り継がれている。山頂の蓼科神社奥宮は古くから諏訪地方の信仰対象であり、登山者の安全祈願の場として地元の山岳会が定期的に手を入れている。
下山後、北八ヶ岳をつなぐ
蓼科山を踏んだら、次は北八ヶ岳の稜線をつなぐのが自然な流れになる。大河原峠から南へ双子山・北横岳・縞枯山・茶臼山・麦草峠と縦走すれば、北八ヶ岳の全貌を歩ける。日帰りで余韻を味わうなら、下山後にビーナスラインを車山高原方面に走らせ、蓼科温泉郷か白樺湖周辺の日帰り入浴施設に立ち寄るのが定番だ。
山頂から見えていた南八ヶ岳の赤岳・横岳・硫黄岳を次の目標にする人も多い。北八ヶ岳の蓼科山と南八ヶ岳の主稜線では、植生も岩相も山小屋文化もまるで違う。蓼科山はその二つの八ヶ岳をつなぐ「北の入口」として、八ヶ岳を本格的に歩き始める人の最初の一座にも、長く通った人が立ち戻る一座にもなる山だ。