上田盆地から見える、屋根の棟のかたち
四阿山は長野県上田市・須坂市と群馬県吾妻郡嬬恋村の県境に立つ標高2,354mの山で、日本百名山の一座に数えられる。「四阿」とは四方へ屋根を葺きおろした東屋のことで、上田盆地からも嬬恋の高原からも、稜線がゆるやかな三角に立ち上がって見える。名前が姿をそのまま言い当てている山は、それほど多くない。山域は上信越高原国立公園の区域に含まれる。
嬬恋村側では、この山を吾妻山と呼ぶ。山と溪谷オンラインは、東征から戻るヤマトタケルが亡き弟橘媛を偲んで「吾妻はや」と嘆いたという『古事記』の伝えを、この別名と嬬恋という地名の由来として紹介している。長野側と群馬側で呼び名が分かれたまま並び立っているのは、この山が双方の生活圏から等しく仰がれてきたことの裏返しでもある。
その正体は、安山岩質の溶岩を積み上げた成層火山である。活動していたのは約80万年前から30万年前で、34万年前の噴火によって直径約3kmのカルデラが形成された。いま四阿山と呼ばれている峰は、その火山体の一角にすぎない。西に根子岳(2,207m)、東に浦倉山(2,091m)、北に奇妙山。これらはひとつの四阿火山を構成する峰々で、根子岳は旧火山の外輪山にあたる。つまり菅平牧場から根子岳と四阿山を歩く行為は、崩れかけた火口のふちを半周して、反対側へ渡ることに等しい。
牧柵の脇から始まる、二つの山の一日
四阿山登山の代表格は、長野側の菅平牧場を起点に根子岳と四阿山を結ぶ周回である。山と高原地図Webはこの縦走コースを、コースタイム6時間25分、距離9.5km、最大高低差764m、難易度は中級と示す。日帰りで二座を踏めて、しかも登り一辺倒にならない。
道は菅平牧場の駐車場から始まる。牛の放たれた牧柵に沿って登り出し、ダケカンバの林を抜け、笹原に変わって根子岳の山頂に出る。ここまでが前半。後半は根子岳から四阿山との鞍部へいったん下る区間で、この下りがルート中で最も気を遣う場所になる。山と高原地図Webは、右側が大明神沢の源頭に深く切れ落ちているとして注意を促している。標高を稼ぐ道より、いったん捨てる道のほうが神経を使うという、縦走らしい構図がここにある。
鞍部の先には「鬼遊びの庭」と呼ばれる一帯があり、剥き出しの溶岩が折り重なっている。そこを過ぎると針葉樹林の急登が始まり、手放した高度を一気に取り戻して四阿山の山頂へ。復路は中四阿・小四阿を経て菅平牧場へ戻る尾根道で、正面に根子岳と牧場の緑を見下ろしながら高度を落としていく。午前に歩いた稜線を午後に横から眺めることになり、一日の軌跡が視覚的に閉じる。
菅平牧場の駐車場には入園料がかかり、山と高原地図Webは大人300円・小人100円と記載する。トイレは牧場管理事務所にあるが、このコース上に水場はない。大明神沢の橋は老朽化で破損しているとの記載もあり、増水時はとくに慎重に渡りたい。行動用の水は、牧場を出る前に必要量を積んでおく。
群馬側から、四本の道が登ってくる
四阿山は長野側だけの山ではない。嬬恋村は村の公式サイトで、四阿山への探勝コースを四本紹介している。標高1,650mの高層湿原である野地平から浦倉山を経て稜線づたいに詰める健脚コース、鬼岩と呼ばれる岩壁を通る茨木山コース、嬬恋村全体や浅間高原を眼下に置きながら登り下りする鳥居峠コース、そしてパルコール嬬恋スキーリゾートのゴンドラで山頂駅まで上がる初級者向きのコースである。
所要の目安として、山と溪谷オンラインは鳥居峠北の林道終点から山頂まで3時間、バラギ湖の登山口から4時間、パルコール嬬恋のゴンドラ利用で2時間、菅平高原から根子岳経由で4時間30分としている。同じ山頂に、二時間の道と六時間半の道が同居している。
鳥居峠から北へ約3km、標高約1,770mの尾根上には的岩がある。複輝石安山岩の岩脈で、1940年に「四阿山の的岩」として国の天然記念物に指定された。屏風のように連なる部分は長さ約200m、幅2〜4m、高さ15mに達し、側面に直交する柱状節理がよく発達して、上端が鋸の歯のように見える。溶岩が岩の割れ目に貫入して固まり、のちに周囲が削り取られて壁だけが残った地形である。火山だった時代の内部構造が、そのまま地表に立っている。
山頂に、二つの宮が並んでいる
四阿山の山頂には社がある。山家神社の奥社で、東宮と西宮が置かれている。2018年には開山1300年を祝って社殿が建て直され、遷座祭が執り行われた。開山1300年ということは、逆算すれば奈良時代にまで遡る山ということになる。登山道として整備されるはるか以前から、ここは登られる山だった。
山と溪谷オンラインは、山頂の神祠を真田昌幸の建立と伝えている。真田の本拠だった上田から見上げる位置に、この山は立っている。長野側の玄関口である菅平高原の所管が、いまも上田市の真田産業観光課であることにも、その地縁は残っている。二つの宮が並ぶ山頂の光景は、県境の山というより、二つの信仰圏の継ぎ目に立っている感覚に近い。
雪が最も遅くまで残る山で
四阿山の季節を考えるとき、押さえておくべき一文がある。山と溪谷オンラインはこの山を「信州上田地方では最も遅くまで雪の残る山」と記し、登山適期を初夏から秋としている。2,354mという標高は北アルプスの3,000m峰より低いが、雪の抜け方はそれほど素直ではない。春まだ浅い時期に標高だけで判断すると、笹原の下に残った雪や樹林帯の踏み抜きに足を取られる。四阿山の時期選びは、数字より土地の言い伝えのほうが当たる。
初夏の主役は牧場側にある。信州上田観光協会は菅平牧場を「花の百名山・根子岳と、日本百名山・四阿山のふもとに広がる牧場」と紹介し、6月中旬から下旬に草原とレンゲツツジのコントラストが見事だと書く。根子岳が花の百名山、四阿山が日本百名山。二つの選定を一日の周回でつなげてしまえる山域は、そう多くない。
装備は、標高よりも「遮るもののない稜線」を基準に組むのが実際的だ。根子岳から四阿山にかけては笹原と低木の道が長く、風と日射をまともに受ける。夏でも防風を兼ねたレインウェアは外せず、朝晩の冷えに備えた薄い保温着を一枚。服装は行動中に脱ぎ着で調整できる重ね方にしておく。前述のとおりコース上に水場はないため、夏場は多めの水を担ぐ前提で計算する。鞍部への下りと鬼遊びの庭の周辺では岩を踏む場面があり、山と高原地図Webもこのコースを岩場やクサリ場があり部分的に注意が必要と評価している。足元はミッドカット以上の登山靴が無難である。
菅平まで上がる、その前に
四阿山のアクセスは、長野側と群馬側で性格がまったく違う。長野側は北陸新幹線の上田駅から菅平高原へ上がり、菅平牧場の駐車場が周回の起終点になる。牧場や登山道についての問い合わせは、上田市真田産業観光課(0268-72-4330)が受けている。群馬側は鳥居峠、バラギ湖、パルコール嬬恋のゴンドラ山頂駅と、複数の登山口が嬬恋村内に散らばる。どの入口も最寄りの公共交通からは離れており、車で組み立てるほうが現実的だ。
群馬側を選ぶなら、道路の状況を先に確かめておきたい。嬬恋村観光協会が公表している冬季通行止め情報では、鳥居峠から鳥居峠登山口駐車場までの鳥居峠林道が2025年11月28日に閉鎖され、解除は2026年5月上旬の予定とされていた。2026年9月時点で公開されているのはこの2025-2026シーズンの内容で、次の冬の日程はまだ出ていない。この林道は毎年の冬季閉鎖の対象である。秋以降に鳥居峠から入る計画なら、嬬恋村観光協会に現況を確認しておくのが早い。ゴンドラも通年運行ではなく、運行日は年ごとに変わる。ゴンドラ利用コースを当てにするなら、運行カレンダーの確認が先になる。
四阿山登山を一日でまとめるなら、菅平牧場からの周回が最も素直な答えになる。根子岳の笹原で高原を見渡し、鞍部まで下り、鬼遊びの庭の岩を抜けて樹林の急登を詰め、山頂の宮の前に立つ。帰りは中四阿の尾根から、いま歩いてきた弧を振り返る。崩れた火口のふちを半周した一日として読み直すと、遠くから見たときは凡庸にすら見えるあの屋根型の輪郭が、少し違って見えてくる。