「サク山」と呼ばれていた頃
皇海山は栃木県日光市足尾町と群馬県沼田市の境に立つ標高2,144mの山で、日光国立公園の区域に含まれる。名の読みは「すかいさん」。この、日本語としてどこか浮いた響きが、そのままこの山の来歴を語っている。
江戸期の地図には「サク山」と記され、別に「笄山(こうがいさん)」という呼び名も伝わっていたという。笄は髪を整える細長い道具のことだ。その文字が置き換えられ、読みが取り違えられるうちに、こうがい、こうかい、と転がって、最後に「すかい」に落ち着いたとされる。山そのものが変わったわけではない。人が呼び方を取り落とし続けた結果、この字面とこの読みが残った。
地質学的には、およそ160万年前から90万年前にかけて活動した成層火山の成れの果てとされる。侵食が進み、いまは深い森に覆われて、火山らしい地形はほとんど読み取れない。深田久弥が『日本百名山』の一座に数えた山でありながら、山頂そのものは樹林に囲まれている。日光市観光協会の案内が展望地として挙げるのは山頂ではなく山頂手前の登山道で、そこから上越の峰が一望できるという。2017年に栃木県内の山を体力度と技術的難易度で格付けした際、両方で最高の区分に置かれた県内唯一の山が皇海山だった。この山の値打ちは頂ではなく、頂までの距離のほうに置かれている。
林道が断たれた日
かつて皇海山は「車でかなり上まで入れる百名山」だった。群馬県沼田市側から栗原川林道をひたすら詰めると皇海橋の登山口に着き、そこから不動沢のコルを経て、半日足らずで山頂に立てた。長い未舗装路の運転と引き換えに歩行時間を買う、という構図である。百名山を数える登山者の多くが、この最短路を選んだ。
その構図が崩れたのが2019年10月の台風19号だった。栗原川林道は路肩の崩落と土砂の流出で被災し、令和元年10月12日から当分の間、追貝側起点〜皇海橋および利根側起点〜皇海橋の区間が通行止めとなる。そして2020年3月3日、沼田市は、度重なる台風や大雨による路肩崩落に加え、年月の経過に伴う岩盤の脆弱化で落石が増えたことから安全な通行の確保が図れず、今後この林道を通行することはできない、と公表した。復旧の見込みは示されていない。
皇海山への道は、もともと栃木側から庚申山・鋸山を越えるもの、渡良瀬川の源流である松木沢を遡るもの、日光白根山から錫ヶ岳へ続く稜線をたどるものに大別されてきた。群馬側の不動沢ルートは、そこへ後から加わった近道だった。失われたのはその一本だった。2026年9月時点でも状況は変わらず、群馬側から入る選択肢は事実上存在しない。皇海山は、ショートカットが一本消えただけで、関東でも指折りの手強い百名山に戻った。
銀山平から鋸の刃を越えて
現在の起点は栃木県側の銀山平になる。日光市観光協会は、銀山平駐車場から皇海山まで7時間半、往復12時間半と示している。一の鳥居までの長い林道歩きから始まり、庚申山荘、庚申山、鋸山を順に越えて、ようやく皇海山の登りにかかる。標高差そのものよりも、いくつもの峰を上下しながら距離を伸ばしていく点に、この道の性格がある。途中の庚申山も、頂上に展望はなく、開けるのは5分ほど先の展望地だ。この尾根では、頂はいつも通過点として現れる。
核心は庚申山から鋸山へ続く岩稜だ。「鋸山十一峰」と呼ばれる岩峰の連なりで、鎖と梯子で小刻みに上下を繰り返す。ある山岳ガイド事務所は2026年5月末の山行として、鋸尾根にある蔵王岳の鎖場は高さ約10mで、休日には10人以上の通過待ちができ、渋滞の通過だけで45分を要したと記録している。慣れた人なら1〜2分、不慣れな人が5分かけると、その差が後ろの行列にそのまま積み上がる。時間計算が狂う要因は、体力より前にここにある。
皇海山を踏んだあとは、往路の岩稜を引き返さず、六林班峠へ回って笹原の巻き道から銀山平に戻る周回を、同じ記録は一般的なコース取りとして挙げている。その一周を歩行距離26km、累積標高差2,300m、標準コースタイム15時間とする値も、この一回の山行記録によるものだ。数字だけ見れば日帰りが不可能な山ではない。ただしヘッドランプを点けて歩き出し、ヘッドランプを点けて帰ってくる前提の一日になる。
庚申山荘という命綱
この長さを分割する唯一の手段が庚申山荘である。建物の不具合で長く利用が止まっていたが、令和8年(2026年)4月16日、避難小屋として利用が再開された。無料、予約不要、通年利用可。ただし管理人は常駐せず、食事の提供も電気もない。寝具は10組程度あるものの、日光市は各自でシュラフを持参するよう求めている。この山荘まで上がるのに要する時間は約2時間とされ、前夜のうちに入ってしまえば、翌日の行動時間を11〜12時間ほどに圧縮できる。
水は4月中旬から12月上旬まで沢水が引かれているが、滅菌されていないため煮沸してから使うよう案内されている。トイレは一時閉鎖されていたが、令和8年6月30日に使用が再開された。それでも日光市は携帯トイレの持参を勧めており、山荘西側のベランダ下に携帯トイレ用のブースが設けられている。日光市は、庚申山荘の周辺が日光国立公園の特別地域に指定されていることを理由に、テントの設営を認めていない。
2026年9月時点、猿田彦神社跡から庚申山へ直接向かう「お山巡りのみち」は歩道が被災して通行できず、庚申山荘を経由するよう案内されている。皇海山周辺は、群馬側の林道にせよこの区間にせよ、災害で道が一本ずつ減っている山域である。出発前に日光市の最新情報を確認してから計画を確定させたい。
コウシンソウの六月、静かな十月
皇海山の季節を考えるとき、途中に踏む庚申山の事情を外すことはできない。庚申山にはコウシンソウという食虫植物が自生する。主に庚申山と男体山・女峰山の一部にしか見られない日本の固有種で、群生地は天然記念物に指定されている。開花は6月上旬から。山名をそのまま負った花が咲く時期に、この長い道の前半を歩けるのは、皇海山を目指す登山者だけが受け取れる副産物だ。
残雪が残る時期は鋸尾根の鎖場と梯子が危険になり、この山の難易度は別物になる。盛夏は行動時間の長さがそのまま消耗に直結する。晴天率と気温の釣り合いで言えば、紅葉期の10月が最も歩きやすい。ただし日が短くなるほど15時間級の行程は成立しにくくなり、11月以降は日帰り周回の現実味が急速に薄れる。銀山平のキャンプ場も12月から3月は冬期閉鎖に入る。
装備は「長い一日」と「岩場」の二点から逆算する。ヘッドランプと予備電池は日帰りでも必携で、鎖と梯子を扱うためのグローブ、行動食と水は多めに。標高2,000m前後の稜線は真夏でも朝夕に冷えるため、防風の効くシェルを一枚。服装は樹林帯の蒸れと稜線の風を行き来する前提で組む。山荘に泊まるならシュラフ、そして携帯トイレ。この山では、装備表に一行足りないことが、そのまま撤退の理由になる。
足尾へ、庚申川の谷をさかのぼって
皇海山アクセスの実際は、銅山で知られた足尾の町をどう抜けるかという話になる。日光市観光協会が銀山平への行き方として案内しているのは、公共交通なら日光駅から市営バス足尾行きで通洞駅前まで約45分、そこからタクシーで約15分。車なら清滝インターチェンジから約22分で、銀山平に駐車場がある。起点が事実上一つしかない山なので、前夜に入ってしまうほうが計画は安定する。
銀山平には日光市のキャンプ場「CAMP THE 銀山平」があり、日本百名山皇海山の登山口としてベースキャンプに使えると案内されている。隣接する国民宿舎かじか荘は日帰り入浴を午前11時から午後3時まで受け付けており、朝のうちに下りてくれば汗を流して帰れる。庚申川の渓谷に囲まれた静かな場所で、翌朝の長丁場に備えて早く眠るには申し分ない。
皇海山登山は、いま、百名山の中でも手数のかかる部類に入る。頂に立っても森に囲まれていて、写真映えのする瞬間は多くない。それでも銀山平から鋸の刃を越えて歩き通した一日は、山頂の景色ではなく、長さそのものとして記憶に残る。林道という近道が消えたあと、この山に残ったのは、歩いた距離の分だけ返ってくるという、ごく古い形の登山だった。