著者 YAMATOMO 編集部 公開日 約9分で読めます

ニルマル・プルジャの死——「14座189日」の男はなぜブロードピークで逝ったのか

雪の岩場に置いた登山ザックとロープ、アイスアックスの静かなイメージ
AI生成によるイメージです。現地や現在の状況を撮影した実写ではありません。記事中の人物・事故・救助活動を再現したものではありません。

2026年7月30日、8,000m峰14座を189日で登り切った男は、頂上ではなく標高6,600m付近の通常ルートで亡くなりました。ニルマル・プルジャ氏(43)は、パキスタンのブロードピークで第2キャンプと第3キャンプの間を移動中に雪崩に流されました。同じ区間には複数の遠征隊がいて、プルジャ氏を含む10人が帰っていません。経験・体力・情報のどれをとっても、プルジャ氏は8,000m峰登山の最前線にいた登山家のひとりです。2026年9月時点で分かっていることを、功績と論争も含めて整理します。

6,600m地点で、10人全員が死亡した

雪崩が起きたのは現地時間7月30日の午前9時半頃、カラコルム山脈のブロードピーク(標高8,051m)の通常ルート上、第2キャンプと第3キャンプの間の標高約6,600m付近でした。専門メディアのExplorersWebは、斜面が面で崩れる表層雪崩ではなく、第3キャンプの上手にある雪稜から雪庇か氷塔(セラック)が崩れ落ちたことが引き金だったのではないか、という見方を伝えています。ただし、本稿で確認した資料から引き金を確定することはできません。

亡くなったのは10人で、内訳はネパール人6人と外国人4人です。プルジャ氏のほか、ネパールのプル・バハドゥール・グルン氏、ニマ・シェルパ氏、キリ・ペンバ・シェルパ氏、ナワン・ティンドゥ・シェルパ氏、ギャル・シェルパ氏、オマーンのナディラ・アル・ハルシー氏、米国のサラ・マロリー・ガイス氏、中国の王中氏、パキスタンのソハイル・サキ氏。ひとつの隊が全滅したのではなく、エリート・エクスペドを含む4つの隊が、同じ時刻に同じ区間を登っていました。プルジャ氏の発信機は約800mの落下を記録し、アル・ハルシー氏の発信機は山の基部近くまで流されていました。

異変を最初に伝えたのは人の声ではなく、追跡装置が示した急激な標高低下でした。無線に応答がないのは節電のために電源を切っているからだと周囲は考えており、発覚が遅れています。7月31日にヘリ・ドローン・地上隊が動き、8月1日にプルジャ氏の会社エリート・エクスペドが全員の死亡を発表しました。8月2日には約5,700m地点でプルジャ氏ら4人が見つかり、収容された遺体は7人になります。それでも8月21日時点で収容できたのは9人で、1人は近づけない場所に残ったままです。

大雪のあと、多くの隊は山を下りていた

事故直前の天候と各隊の行動についても、報道で伝えられています。ナショナル ジオグラフィックによれば、7月18日には暴風が吹き、7月22日頃からブロードピーク周辺で大規模な降雪が始まりました。それを機に多くの隊が撤収し、新しい雪は7月29日頃まで降り続いたとみられています。

そのなかで、プルジャ氏のエリート・エクスペドを含む数隊は山に残りました。なぜ残ったのかは、公表された記録では分かりません。プルジャ氏は7月21日にガッシャブルムII峰へ登頂していますが、それだけで事故当日の体調や判断を推測することはできません。

編集部の補足:8,000m峰の遠征は、入山許可の期間、高所ガイドやポーターの契約、次の遠征の予定まで含めて一体で組まれます。「もう一週間待つ」という選択が、現場では「今季を捨てる」に近い意味を持つことがあります。

第2キャンプに立っていた当人たちに、いま私たちが見ている景色と同じものが見えていたとは限りません。それを踏まえたうえで、外から持ち帰れるのはこの一点だと考えます。嵐が明けて空が晴れたことと、雪が落ち着いたことは、同じではありません。

雪が降り止んでも、雪崩の危険は残る

今回の事故では雪庇や氷塔の崩落を引き金とする見方が報じられていますが、原因は本稿の資料からは確定できません。日本の雪山で起きる表層雪崩と、同じ仕組みだったと決めつけることもできません。一方、一般的な雪崩への備えとして、国土交通省などは短時間の大雪、吹雪の最中や直後、気温上昇や雨で雪解けが進むときに注意を呼びかけています。降雪中も、降り止んだあとも警戒が必要です。

晴天になったことや、足元の雪が締まって見えることだけでは、積雪全体の安定性は判断できません。危険がいつ弱まるかは、降雪量、風、気温、斜面や積雪の状態で変わります。「降雪後だけが危ない」「一定時間待てば安全」という一律の判断はできません。

「自分が急斜面に立たなければ大丈夫」という前提は、上から流れ下る雪崩には通用しません。日本でも、沢地形や雪崩の堆積物がある場所を通る計画では、足元だけでなく上方の斜面からの影響を考える必要があります。通過時間を短くするだけで安全になるわけではなく、危険な斜面の下を通らないルートや、入山を見送る判断を優先します。

189日の記録と、否定された疑惑を並べて置く

プルジャ氏は1983年、ネパールの生まれ。英陸軍グルカ旅団から、グルカ出身者として初めて英海軍特殊部隊SBSに進み、2018年に退役しました。2019年4月23日から10月29日までの6か月6日(189日)で8,000m峰14座すべてに登頂。それまでの記録はおよそ8年でした。2021年1月16日にはネパール人10人のチームでK2の冬季初登頂を果たし、そのなかで唯一、無酸素で頂上に立っています。

彼が動かしたのは記録の数字より、「ヒマラヤの高所で働く人は裏方」という前提のほうだったと考えます。プルジャ氏はミンマ・デイビッド・シェルパ氏らと遠征会社エリート・エクスペドを立ち上げ、ニムスデイ財団を通じて、ポーターの子どもの就学支援やシェルパ集落への援助に取り組みました。ネパールのバレンドラ・シャハ首相は8月1日、彼らの勇気と貢献は人々を励まし続けるだろうと述べ、英国のウィリアム皇太子も8月2日、ネパール人クライマーを世界地図に刻んだ人物だと悼みました。

一方で、2024年5月にニューヨーク・タイムズが、2人の女性による性的不正行為の申し立てを報じました。プルジャ氏は全面的に否定し、内容は虚偽だとしています。Ospreyが契約を解消し、GrivelとScarpaがプロモーション活動を停止しました。真偽をこの記事で判断することはしません。死は疑惑を消さず、疑惑は189日を消さない。両方を並べて置いておくのが、いまできる誠実な扱い方だと考えます。

まとめ:残るのは記録ではなく、引き返す判断

2026年9月時点で本稿が確認した資料では、プルジャ隊が大雪のあとも山に残った判断の全容は分かりません。経験を積んだ登山家を含む10人が、山頂へ向かう途中の区間で命を失いました。経歴だけで当日の安全性を測ることも、外から当事者の判断を断定することもできません。

この事故から考えたいのは、経験があっても自然条件を優先して計画を変える必要があるということです。地形図だけでは、頭上の雪庇や氷塊の現在の状態は把握できません。最新の気象・雪崩情報と現地の状況を確かめ、雪山の専門的な知識を持つ人の判断を得ることが必要です。判断できない場合は、通過を急ぐのではなく、その斜面に近づかない計画へ変えます。

もうひとつ残るのは、K2で登頂を目指していた多くの隊が、サミットプッシュを中止して捜索の支援に回ったという事実です。異変を最初に伝えたのは追跡装置の記録でしたが、装置は位置を残すだけです。近くの誰かが動けて、捜索は始まります。どこへ誰と行き、何で位置を共有しておくか。この組み合わせの重みは、8,000m峰でも日本の里山でも変わらないと考えます。

参考資料・出典

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